冬の京都旅行(2日目) その3
2005年 12月 27日
南禅寺水路閣 ~ 南禅院 ~ 南禅寺(法堂) ~ 南禅寺(本坊) ~ 南禅寺(方丈)
南禅院正面の門です。南禅寺水路閣から階段を昇るとあります。拝観入口はもうちょっと写真左側へ行ったところにあります。亀山天皇は、正応二年離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされました。南禅院は離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地だそうです。
南禅院方丈の様子です。
夢窓国師作庭といわれる池泉廻遊式庭園です。天竜寺庭園、苔寺庭園と共に京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されています。鎌倉時代末に作られたものだそうでかなり古くて由緒ある庭園なんですね。三名勝史跡庭園ってすべて見てみたいなあ。
庭園側から方丈を望んだ写真です。屋根にまだ雪が残ってます。雪化粧の庭園がすごく見たかったです。ちょっと残念。
南禅寺法堂(はっとう)です。豊臣秀頼の寄進した法堂は明治二十八年に焼失して、明治四十二年に現在のものが建立されたそうです。
南禅寺本坊です。ここが拝観入口になっています。
南禅寺小方丈の大玄関です。柵があって入ることはできませんが大玄関というだけあって立派な構えです。
小堀遠州作庭といわれる枯山水庭園です。
如心庭です。上記の方丈庭園から順路に従って歩くとあります。
六道庭です。さらに順路に従って歩くとあります。転がっているようにある鬼瓦なんかがまたいい感じをかもし出していますね。
茶室・不識庵とその手前の庭の写真です。昭和二九年に開基亀山法皇の六百五十年御遠諱を記念して建てられたものだそうです。
窮心亭です。昭和四十三年に茶道宗偏流一門の寄進によって建立されたものだそうです。
中庭(その1)です。奥に見える竹垣が南禅寺垣、そして窮心亭です。
中庭(その2)です。
大硯石です。上記中庭(その2)のところに置いてあります。明治三十九年に矢橋亮吉氏が加工寄贈されたもので電動器具などは一切使っていなく全くの手作りのものだそうです。それにしてもでかい・・・。
拝観入口の入ってすぐ右側にあるお茶室です。本当はここでお庭を眺めながら抹茶を頂きたかったのですが既に終わってました(T.T)。
その4へ続く・・・。
南禅院正面の門です。南禅寺水路閣から階段を昇るとあります。拝観入口はもうちょっと写真左側へ行ったところにあります。亀山天皇は、正応二年離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされました。南禅院は離宮の遺跡であり、また南禅寺発祥の地だそうです。
南禅院方丈の様子です。
夢窓国師作庭といわれる池泉廻遊式庭園です。天竜寺庭園、苔寺庭園と共に京都の三名勝史跡庭園の一つに指定されています。鎌倉時代末に作られたものだそうでかなり古くて由緒ある庭園なんですね。三名勝史跡庭園ってすべて見てみたいなあ。
庭園側から方丈を望んだ写真です。屋根にまだ雪が残ってます。雪化粧の庭園がすごく見たかったです。ちょっと残念。
南禅寺法堂(はっとう)です。豊臣秀頼の寄進した法堂は明治二十八年に焼失して、明治四十二年に現在のものが建立されたそうです。
南禅寺本坊です。ここが拝観入口になっています。
南禅寺小方丈の大玄関です。柵があって入ることはできませんが大玄関というだけあって立派な構えです。
小堀遠州作庭といわれる枯山水庭園です。
如心庭です。上記の方丈庭園から順路に従って歩くとあります。
六道庭です。さらに順路に従って歩くとあります。転がっているようにある鬼瓦なんかがまたいい感じをかもし出していますね。
茶室・不識庵とその手前の庭の写真です。昭和二九年に開基亀山法皇の六百五十年御遠諱を記念して建てられたものだそうです。
窮心亭です。昭和四十三年に茶道宗偏流一門の寄進によって建立されたものだそうです。
中庭(その1)です。奥に見える竹垣が南禅寺垣、そして窮心亭です。
中庭(その2)です。
大硯石です。上記中庭(その2)のところに置いてあります。明治三十九年に矢橋亮吉氏が加工寄贈されたもので電動器具などは一切使っていなく全くの手作りのものだそうです。それにしてもでかい・・・。
拝観入口の入ってすぐ右側にあるお茶室です。本当はここでお庭を眺めながら抹茶を頂きたかったのですが既に終わってました(T.T)。
その4へ続く・・・。
by puyan27
| 2005-12-27 23:15
| 旅行