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by puyan27

犬山城

 突然のことなのですが、日本の城めぐりをしようということになり、まずは国宝4城からということで愛知県犬山市の犬山城を観に行って来ました。
犬山城は天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関が原の合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)に城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至りました。明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。その後、伊勢湾台風などでも被害を受けましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて解体修理を行いました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城の中でも、最も古い城であります。平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。
犬山城の歴史 説明より引用

e0034068_22351666.jpg天守閣外観

構造形式・・・独立天守閣
外観・・・3重
内部4階地下2階付
天守の建て坪・・・360.353㎡
総延面積・・・698.775㎡
石垣の高さ・・・地上5m
天守の高さ・・・石垣から19m
地上からの高さ・・・24m

e0034068_22353036.jpg大杉様

樹齢 約650年 高さ 枯れる前 約24メートル
犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風避けもなったりして城を守る御神木として崇められてきました。しかし1965年頃枯れてしまいました。

e0034068_22354146.jpg付櫓(つけやぐら)(1階)

この位置は東南の隅の突出部にあたり、攻撃守備用として造られたといいます。突出部は下段に3ケ所の連子窓があり、それぞれ遠くまで見渡すことができます。広さ15.22㎡(8畳余)

e0034068_22355576.jpg納戸の間(1階)

犬山城は別名「白帝城」といいます。江戸時代の儒者荻生徂徠が李白の詩からとって命名したと伝えられます。

e0034068_2236654.jpg石落としの間(1階)

この位置は西北の隅にあたり、石落としの間といいます。石を落として侵入者を防ぐ間で石垣より外に突出しているのが特徴です。広さ7.17㎡(4畳余)

e0034068_22361782.jpg上段の間(1階)

ここは殿様が使用した部屋で上段の間といいます。床が一段と高くはられ、この部屋だけが猿頬天上(サルホホテンジョウ)が張ってあり、この城の最上の室となっています。この奥に武者隠しの間があり、殿様を守る武士が待機しておりました。

e0034068_22362836.jpg武具の間(2階)その1

中央部が武具の間で西北東の3方に武具棚があります。

e0034068_22363911.jpg武具の間(2階)その2

e0034068_22365034.jpg唐破風の間(3階)その1

ここは南北に唐破風の間を配置し、東西は千鳥破風となっています。当初天守築城当時はなく元和4年(1618年)から貞享2年(1687年)にかけて、70余年の間に成瀬城主が装飾として築城したものと伝えられております。広さ81.936㎡。

e0034068_2237361.jpg唐破風の間(3階)その2

e0034068_2237148.jpg高欄の間(4階)

廻縁からの展望は素晴らしく戦国時代の見晴台及び司令塔であったとみられます。又、対岸は美濃の国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。広さ49.835㎡。

e0034068_22372589.jpg高欄の間(4階)廻縁の様子(その1)

e0034068_22373731.jpg高欄の間(4階)廻縁の様子(その2)

各写真の説明は犬山城に設置されていた説明文及び公式HPの説明文を引用させていただきましたm(__)m。やっぱり現存する天守閣ってすばらしいですね(^ヘ^)v。
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by puyan27 | 2006-12-17 22:30 |