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by puyan27

松本城

スーパーあずさにて長野県松本市へ向かいました。目的はもちろん国宝の城めぐり第2弾、松本城です。
創始
松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めました。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。その後天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。

天守築造
豊臣秀吉は天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し、天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。
数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守、乾小天守、渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸、二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。天守のと築造年代は康長の文禄2年から3年(1593~4)と考えられています。
~配布パンフレットを引用~

e0034068_14325788.jpg黒門

本丸に入る正門で、櫓門と升形からなり、本丸防衛の要です。一の門(櫓門)は昭和35年(1960)に復興し、二の門と袖塀は平成2年(1990)に復元されました。

e0034068_14331483.jpg外観(その1)

右より
乾小天守 3重4階本瓦葺
渡櫓   2重2階本瓦葺
天守   5重6階本瓦葺
辰巳附櫓 2重2階本瓦葺
月見櫓  1重地下1階附本瓦葺

e0034068_14332760.jpg乾小天守(1階)

天守の北に位置するのに、乾と呼ばれるのは、北は叛く、敗れるなどの意があり、忌み嫌われたからです。3重4階の櫓は、天守と渡櫓で連結しています。乾小天守は天守と構造が異なり、丸太柱が使用されています。1,2階の10本と3,4階の通し柱12本は丸太材です。

e0034068_14333880.jpg乾小天守(2階)

松本城天守が築造されたのは、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以前です。そのため武装強化が用いられている。弓や鉄砲を発射する狭間の数が多いのはその現れです。

e0034068_14335316.jpg渡櫓(2階)

天守と乾小天守が渡櫓で連結し、辰巳付櫓と月見櫓が複合しているので連結複合式天守と呼ばれます。渡櫓2階の床面と乾小天守の床面には高低差がなく平らですが、天守床面とは大きな段差があって大変接続が悪いです。

e0034068_1434669.jpg天守(1階)

1間ごとに柱が立ち天守全体の重みを支えています。食料や爆弾などの倉庫であったと思われます。周囲1間通りは、内側の床より、50cm低く、これを入側又は武者走と呼びます。また、石垣をよじ登ってくる敵に対して石を落としたり、弓や鉄砲を撃って撃退する石落も見られます。

e0034068_14341845.jpg天守(2階)

武者窓(竪格子窓)からの明かりも多く、有事には武者達の営所に当てることができました。ここには松本市出身の赤羽通重氏、か代子夫人により収集された鉄砲・装備品・文書類などが展示されています。

e0034068_1434299.jpg天守(3階)

天守2重の屋根裏に設けられているので窓が全くありません。明かりは南側千鳥破風の木連格子からわずかにはいるだけです。そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていました。外部からの遮へいが強いので有事には「武者溜」に当てる、との説もありますが普段は倉庫でした。

e0034068_1434427.jpg天守(4階)

3階までの各階とガラリと室内の趣が異なっています。柱が少なく天井が高い上に4方から外光が入るので明るく広々とした感じを受けます。

e0034068_14345167.jpg天守(5階)

中央に3間×3間の大広間を置き、周囲は入側と4つの破風入込間という構成です。有事には幹部の居所にあてられるものと推定されます。4方に窓が開いていて6階とともに戦況を見るのに都合がよいです。

e0034068_1435153.jpg天守(6階)

周囲に3尺(90cm)通りの入側が巡る3間の一部屋となっています。無目敷居が回っているので、畳を敷くことも可能です(階段を除き京間16畳となる)。有事には最高幹部の司令塔(城主の座所)となるところです。

e0034068_14351425.jpg天守(6階) 天井

小屋梁の中央には松本城を守る神様として二十六夜神が祭られています。

e0034068_1435273.jpg天守(6階) 本丸御殿跡

このように東西南北を一望することができます。この日は天気に恵まれました。尚、本丸御殿は享保12年(1727)に焼失してしまい以後は再建されていません。

e0034068_1435554.jpg辰巳附櫓(2階)

天守の辰巳(南東)にあたり、隣接している月見櫓とともに松平直政によって寛永元年に増築されました。奥に見える窓の上方が尖った特殊なアーチ型になった窓は花頭窓といい、禅宗寺院の建築に見られる形式です。

e0034068_1436718.jpg月見櫓

北・東・南に設えてある舞良戸を外すと、3方吹き抜けになり、回りに巡らされた朱塗りの回縁や船底型の天井など書院風の造りと相まって、優雅な雰囲気を醸し出し、天守・渡櫓・乾小天守と比べ開放的で、平和な時代に造られたことがわかります。

e0034068_14361882.jpg外観(その2)

e0034068_14363267.jpg太鼓門

文禄4年(1595)頃に築かれ、門台北石垣上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図等の発信源として重要な役割を果たしていました。平成11年に復元されました。
各写真の説明は松本城に設置されていた説明文及び配布パンフレットを引用及び参照させていただきましたm(__)m。国宝4城めぐり、続いては彦根城又は姫路城に行ってみたいと思います。
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by puyan27 | 2006-12-23 17:31 |