ぷーやんのブログ 旅行や趣味、自分で思ったりしたこと等のひとりごと。


by puyan27

カテゴリ:建築・庭園( 35 )

後楽園

日本三名園のうち金沢の「兼六園」、水戸の「偕楽園」は既に行っておりましたが、岡山の「後楽園」だけはまだ行ったことがありませんでした。今回それがやっと実現しました\(^O^)/。

 岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成を見ました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
 また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる、地方では稀な大名庭園となっています。
 後楽園は、かつて藩主の静養の場、賓客の場として使われましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。明治17年(1884)に岡山県に譲渡され、一般公開されていました。昭和9年(1934)の水害、昭和20年の戦災では大きな被害を被りましたが、江戸時代の絵図に基づいて復旧を行いました。昭和27年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され、後世に伝える歴史的文化遺産として維持管理にあたっています。
~パンフレットより引用~


e0034068_1155695.jpg水源

ここから園内に流れ出た一筋の水路は曲水となり、池や滝となって優れた景観を作り、旭川に戻っていきます。昔は旭川の約4キロ上流から対岸までひいた後楽園用水を利用していましたが、今は伏流水を汲み上げています。

e0034068_116944.jpg観騎亭

藩主が家臣の乗馬の技を見るための建物で、馬上側にも窓が開いています。戦災を免れ、往時の姿を今に伝えています。馬上の長さは約180メートルで、年若い藩主たちはここで乗馬の稽古に励みました。

e0034068_1162111.jpg寒翠細響軒

文化12年に当時の藩学校教授万波醒廬が背後の松林の緑と前面に広がる沢の池の清らかな水の趣にちなんで名付けました。ここからは城と庭園が一体となった雄大な景色を眺めることができます。

e0034068_1163374.jpg寒翠細響軒付近からの眺め



e0034068_1164565.jpg五三次腰掛茶屋

幕末から明治時代初期にできた建物で、東海道五三次を描いた扁額が掲げられていたことから、この名が付いたといわれています。池に面した連子窓を通して見る城や唯心山の景色には格別の趣があります。

e0034068_1165596.jpg次眼堂

池田綱政が元禄十年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は空堂となっています。境内には、花崗岩を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩、門と仁王像、板張の腰掛などが残っています。

e0034068_117689.jpg沢の池

園内中央にある池で、左から島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島があります。中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。

e0034068_1171623.jpg茶畑

築庭当時からこの位置にあり、背景のゆるやかな曲線を描く土手山と調和しています。江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主が普段に飲むお茶として使われました。毎年五月の第三日曜日には茶摘み祭を行っています。

e0034068_1172878.jpg新殿

幕末頃にできた建物で、もとは新御殿と呼ばれていましたが、明治時代から新殿と呼ばれるようになりました。銅板葺で、高床となった十畳の座敷からは、園内南西の景色を広々と眺めることができます。

e0034068_1173814.jpg花交の池



e0034068_1175464.jpg流店

中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。戦災を免れた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。

e0034068_118583.jpg流店の内部

説明にもあったとおり、こんな建物見たことないです。夏なんかは涼しげでよいですね。

e0034068_118185.jpg唯心山

唯心山は池田綱政の子、継政の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。山腹には唯心堂があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。

e0034068_1182873.jpg唯心山からの眺め



e0034068_1183919.jpg井田

昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがその名残を伝えています。井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。毎年七月の第一日曜日には、お田植え祭を行っています。

e0034068_1184860.jpg花菖蒲畑・八橋

六月上旬には白や紫などの見事な花を咲かせ、梅雨の季節に趣があります。曲水に板を渡した八橋のそばには杜若があります。伊勢物語の「東下り」の段にちなんだ、風雅な情景となっています。

e0034068_1185942.jpg蘇鉄畑

蘇鉄は桃山時代から異国情緒豊かな庭園樹として珍重されました。本園では築庭当時から取り入れ、明治時代中期になって新たに本数を増やし、今ではかつての約二倍の広さになっています。

e0034068_1191464.jpg廉池軒

戦災を免れた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。この建物からは沢の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。

e0034068_1192539.jpg御舟入跡

藩主が城から船で渡ってきたときの船着場の跡で藩主が入る御成御門がありました。大正時代に外苑散歩道をつけたときに入口の大部分を閉じ、今は水が入ることはありません。竹林に囲まれた中に、その名残を伝えています。

e0034068_1194162.jpg茂松庵

築庭当時、このあたりは山桜や楓、松で彩られた林で、建物は花葉軒と呼ばれていました。歴代藩主は、ここで茶の湯を楽しみました。明治時代になって茂松庵と名が変わり、戦災で焼失後、園内で最初に復元されました。

e0034068_1195670.jpg大立石

巨大な花崗岩を九十数個に割り、ものと形に組み上げたもので、築庭にあたり池田綱政が運ばせました。大名庭園ならではの豪快さと石の加工技術の高さがうかがえます。本園には石の割り方がわかる木型も残っています。

e0034068_12088.jpg能舞台・栄唱の間

能舞台の周囲の座敷は、能の見所や接待の場として使われました。築庭した池田綱政は、家臣や領民にも能を見せました。次の藩主継政の時に改築され、戦災で焼失後、その間取りが復元されました。

e0034068_1202099.jpg花葉の池

この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。

e0034068_1203138.jpg延養亭

藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。現在もこの景観の保全に努めています。

e0034068_1204695.jpg延養亭からの眺め



なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。
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by puyan27 | 2007-09-20 21:07 | 建築・庭園

栗林公園

9月に入り、連休がとれたので讃岐うどん食いだおれに香川県高松市へ行って来ました。ここへ来たら絶対に欠かせない観光名所が栗林公園です。映画「春の雪」でも使われていました。もっぱら庭園好きな私には絶対にはずせない場所ではあったのですが。

本園の起こりは、元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、西南地区(小普陀付近)に築庭されたのに始まるといわれ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれた。以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ねて延享2年(1745年)に完成されたもので、明治維新に至るまで松平家11代228年間にわたり、下屋敷として使用された。明治4年(1871年)高松藩が廃され、新政府の所用となったが、明治8年(1875年)3月16日、県立公園として一般公開され、現代に至っている。
~パンフレットより引用~


e0034068_17595462.jpgお手植松

前に並んでいる手入れをしている背丈の高い5本の松は、次の方々がご来園賜ったときに記念してお手植えになられた松です。昭和天皇が大正3年皇太子殿下のときお手植えになった黒松がありましたが落雷のため平成17年2月枯死したそうな。

e0034068_180891.jpg鶴亀松(別名 百石松)

110個の石を組み合わせ亀を形どった岩組の背中に鶴が舞う姿をした黒松を配したものであり、園内でも最も美しい姿をした松である。

e0034068_1802512.jpg屏風松と箱松

北側の背丈の高い松並を屏風松という。絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝振りはまさに圧巻。南側に並ぶ箱松は、その名の通り箱のかたちを装った松。長い年月の手入れのたまもので、樹芸の粋を極めたこの箱松は、他に見られない本園ならではの景観をつくっている。

e0034068_1803815.jpg梅林橋

別名「赤橋」と呼ばれ、緑一色の湖景に一点朱色が鮮やかに映え、付近庭景に対する見事な引締め役となっている。

e0034068_1805464.jpg掬月亭

この建物は、江戸初期の頃(1640年頃)に建てられた廻遊式大名庭園の中心的建物でありう、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物である。1745年に、松平5代藩主頼恭が、中国の詩人干良史の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって、掬月亭と命名したものである。

e0034068_181798.jpg涵翠池

掬月亭西の池、涵翠池は、翠(みどり)を涵(ひた)すという意で、石組みの素晴らしい中島の瑶島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山の自然を含めた意図で命名したもの。

e0034068_1813120.jpg睡竜潭と慈航嶼

西湖の南端にあたるこの池泉を「睡竜潭」といい、その中島を「慈航嶼」という。この中島には2つの橋が架けられている。手前の橋を「津筏梁」といい、奥の橋を「到岸梁」という。津筏梁の両側にはカキツバタがあり、5月には可憐な花を咲かせる。

e0034068_1814726.jpg掬月亭 初莚観(その1)

天井が総和紙貼りになっており、光を取り入れられるようになっています。和紙を通すので柔らかい光が入ってきます。建築家の村野藤吾氏がここを参考に新高輪プリンスホテル「恵庵」、帝国ホテル「東光庵」にてアレンジして取り入れたといった内容の資料が展示されておりました。

e0034068_182054.jpg掬月亭 初莚観(その2)

黒漆塗り井桁菱格子に紋紗を貼って障子にしているようです。障子が開いていればこの格子ごごしに庭園を観られたのですが残念。ここにも建築家の村野藤吾氏がここを参考になだ万山茶花荘にてアレンジして取り入れたといった内容の資料が展示されておりました。

e0034068_1821313.jpg掬月亭 掬月



e0034068_1822654.jpg掬月亭 掬月からの眺め

ここからの庭園の眺めは格別です。襖に書かれた庭園風景のようです。素晴らしい(^○^)。

e0034068_1823772.jpg掬月亭 茶室



e0034068_1825057.jpg吹上げ

石の間から吹き上げるように噴き出る噴泉の吹上げは、本園の東南端に位置する当園の水源地であり、ここで曲水の宴がおこなわれたといわれている。

e0034068_183239.jpg飛来峰(古富士)からの眺め

明治43年文部省発行 高等小学読本の文章中「風致の美をもつて世に間ゆるは水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして之を日本の三公園と称す。然れども高松の栗林公園は木石の雅趣却って此の三公園に優れり。」と記され、ここから南湖を望む景観の写真が掲載された。この築山は、中国杭州武林山の名勝から得た命名である。

e0034068_1831566.jpg芙蓉峰からの眺め

梅林橋のあたりから見ると富士山の形をしているので富士の別名である「芙蓉」の名がついたとされている。芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として、右に前嶼、左に後嶼、その求心点には紅の橋である梅林橋という美しさ。また、右には箱松、屏風松が重なるように見え、景観をさらに厚く演出している。


なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。
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by puyan27 | 2007-09-17 17:58 | 建築・庭園

小石川後楽園

GWも終わりに近づいてきましたが、都内の大名庭園、小石川後楽園を訪れてきました。
江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷(のちに上屋敷となる。)として造ったもので二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭になっています。光圀は造成にあたり明の遺臣朱舜水の意見を用い、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れ、園名も舜水の命名によるなど中国趣味豊かな庭園です。後楽園の名は、中国の笵仲淹「岳陽楼記」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名付けられました。
~パンフレットより引用~


e0034068_22145100.jpg小廬山

中国の名勝地「廬山」にちなみ、京都の清水寺一帯が小廬山と呼ばれている。大堰川上流の景色が京都の清水に似ていることから、藩祖頼房の求めにより寛永一七年に林羅山が「小廬山」と名付けた。現在は、オカメザサに丘の覆われた丘のことを小廬山と呼んでいる。

e0034068_2215868.jpg大堰川

京都の嵐山に下を流れる大堰川にちなんだもので、三代将軍家光がしばしば来園し、大泉水の設計と共に種々助言を与えたものと言われている。両岸には蛇篭を伏せ、神田上水の水を暗渠により引き入れ、江戸時代には清き流れで園景を引き立てていた。

e0034068_2221279.jpg西湖の堤

この石堤は中国の名勝地西湖を模して造られたもので、本園以後の大名庭園の「西湖の堤」の先駆けとなった。

e0034068_2222560.jpg涵徳亭

本園創築時代に造られた萱葺の茶室で硝子紙をもって障子としたため「硝子ノ茶屋」と呼ばれていたのを、享保年間に林信篤が涵徳亭と名付けた。現在の建物は四代目で昭和六十一年に再建した。

e0034068_2223719.jpg清水観音堂跡

京都清水寺を写した観音堂があったが、大正一二年の関東大震災で焼失した。

e0034068_2225480.jpg通天橋

京都・東山東福寺の「通天橋」にならい、大堰川の渓流に朱塗りの虹橋をかけたもので、この付近の楓の紅葉は趣が深いところである。

e0034068_223891.jpg音羽の滝

京都・清水の「音羽の滝」にならって名付けられた。もとは水車により神田上水の水を汲み上げ樋により小廬山の側に流していたが、元禄の地震のとき水流が破壊され岩組だけが残された。現在は大泉水から水を引いて滝を復元した。

e0034068_2232190.jpg得仁堂

二代光圀が建てた園内最古の建物で、光圀が感銘を受けた「伯夷叔斉」の木像を安置した。堂の名は論語の「仁を求めて仁を得たり」による。

e0034068_2233550.jpg一つ松

近江の琵琶湖を模した大泉水に対し、琵琶湖の唐崎の一つ松にちなんでいる。

e0034068_2234829.jpg白糸の滝

六代治保のときに造られた。その様子が千条の白糸を垂れているように見えるのでこの名がつけられた。

e0034068_2235913.jpg円月橋

朱舜水の設計と指導により名工「駒橋嘉兵衛」が造った。橋が水面に写る形が満月になることからこの名がつけられた。後に八代将軍吉宗が江戸城吹上の庭に造ろうとしたが遂に果たせなかったといわれている。

e0034068_2241297.jpg八卦堂跡

二代光圀七歳のとき、将軍家光に謁見したおり「文昌星」像を頂戴した。後に光圀は文学を好むようになり、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置したという。なおこの堂は大正一二年の関東大震災で焼失した。

e0034068_2242491.jpg八つ橋と藤棚

藤の古木にして南にある三箇所はその花うす白く、北にある一箇所は八重の紫にして花房が上に向かう故に「上り藤」と言う。

e0034068_2243682.jpg田端

二代光圀が嗣子綱條の夫人に農民の苦労を教えようと作った田圃で、現在は毎年文京区内の小学生が五月に田植え、九月に稲刈りを行っている。

e0034068_2244661.jpg九八屋

江戸時代の風流な酒亭の様子を現した。この名の由来は「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする、との教訓による。戦災により焼失したが昭和三十四年に復元した。

e0034068_225045.jpg松原

往時は松うっそうとして空もみえざりしと伝えられる。光圀も珍重せるところにして将軍来園の際にも「これ天下の威光をもっても能はず」と感賞せられたる由なり。

e0034068_225136.jpg内庭

本園は大別すると内庭と後庭(後楽園)とに分けられる。内庭は水戸藩邸の書院の庭であって、江戸時代には「うちの御庭」などと呼ばれていた。江戸の大名屋敷がほとんど消滅した現在、書院の庭の旧態をよく残しているものとして貴重である。

e0034068_2252981.jpg蓬莱島

島は亀の形をしており、先端の大きな鏡石は、庭師徳大寺佐兵衛にちなんで「徳大寺岩」と名付けられ、弁財天を祀った祠がある。

e0034068_2254452.jpg西行堂跡

藩祖頼房の時代に、御鞍打師「小野荘兵衛」作の西行法師の木像を安置したことから西行堂と名付けられた。ここにある西行の歌碑は九代斉昭の「駐歩泉」の碑にちなみ同夫人が建てたものである。なおこの堂は戦災により焼失した。

なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。
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by puyan27 | 2007-05-05 20:52 | 建築・庭園

葛飾区 山本亭

 都会の喧噪さを忘れるため柴又まで行って来ました。近場としてはなかなかのロケーションです。

e0034068_23245736.jpg長屋門

ここから中へ入ります。両サイドの部屋にあるステンドグラスもなかなか素敵です。

e0034068_23251093.jpg旧玄関

玄関は裏のほうに移ったようです。ガラス越しに人力車が見えます。

e0034068_23252552.jpg庭の様子(その1)

玄関に行くまでにあるお庭の様子です。藤などのなじみ深い草花が植えられておりました。

e0034068_23253778.jpg旧玄関(内部)

先ほどの旧玄関は内部はこのようになっておりました。ランプや格子の細工がレトロな雰囲気を醸し出しておりました。

e0034068_23255020.jpg鳳凰の間

昭和初期の建物ですので洋のスタイルは取り込んでいたんですね。和がメインで洋もすこしかじれるこういうスタイル、中途半端だと思う人もいるかもしれませんが個人的にはなかなか好きです(^○^)。

e0034068_2326444.jpg庭の様子(その2)

舞の間から見えるお庭の様子です。手入れが行き届いているし、ちょうどツツジも咲いていて畳に座って観ているととても落ち着きます。

e0034068_23261968.jpg庭の様子(その3)

ここに来た目的のお庭です。ここも米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)に2006年度3位でランキングされております。この写真は個人的にはベストな位置ではないです。傘がある位置からの眺めが池の鯉も見えるし、とてもよいのですがちょうどお茶席の部分なので人が入ってしまい撮れませんでした。

e0034068_23263716.jpg庭の様子(その4)

池の水がもうちょっと澄んだ感じだともっとよかったんだけどなあ。循環はさせていないのかな。パンフレットの写真だとすごく綺麗なようなのですが・・・。まあ、それはさておき、お茶しながらゆっくりと鑑賞しましょう。

e0034068_232708.jpg柴又公園からの様子

長屋門正面にある柴又公園から眺めた山本亭です。ツツジがとても綺麗でした。また眺めもよく、江戸川はすぐそこにあります。矢切の渡し、寅さん記念館もすぐ近くです。

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by puyan27 | 2007-05-03 23:37 | 建築・庭園

国立新美術館

 本日(1月21日)、東京都港区六本木に国立新美術館が開館しました。早速、建物を観に行ってきました。

e0034068_23485831.jpg国立新美術館 正面

所在地:東京都港区
設計:黒川紀章・日本設計共同体
設計/竣工:2000年-2006年
構造規模:鉄骨造
一部鉄骨鉄筋コンクリート造
地下2階地上6階塔屋1階
シカゴ博物館第一回世界建築賞受賞

e0034068_23491073.jpg国立新美術館 正門より

e0034068_23492117.jpg国立新美術館 別館

もともとこの地にあった陸軍歩兵第三聯隊兵舎の一部のファサードを正面に残すことにより、歴史と現代の共生を可能としたとのことです。私も知りませんでしたがこの兵舎は二・二六事件の陸軍歩兵第三聯隊の司令部だったようです。

e0034068_23493249.jpg国立新美術館 入口

入口の円錐を見上げたところです。黒川紀章氏の建物は円錐が多用されているのが印象的です。

e0034068_23495323.jpg国立新美術館 内部

手前の3F円錐が「レストラン」奥の2F円錐が「ティーサロン」になっております。

e0034068_2350589.jpg陸軍歩兵第三聯隊兵舎 模型

昭和3年(1928年)竣工
東京市麻布區新龍土町
縮尺 1:100

国立新美術館 別館の写真と見比べてみるとどの部分を残したのかがわかりますね。

e0034068_23502787.jpg国立新美術館 正面(夜間)

夜になるとまた昼間とは違った雰囲気になるのがわかります。

e0034068_23504362.jpg国立新美術館 正門より(夜間)
 この美術館は所蔵品を持たないギャラリー専門です。国立と名がつくこともあるので今後のレベルの高い企画展に期待をしたいです。肝心の展示室ですが今後、訪れることで見やすさ等がわかるのかなと思ってます。

<今後の予定>
・20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―
 会期:1月21日(日)~3月19日(月)

・異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展
 会期:2月7日(水)~5月7日(月)

・日本の表現力 ― アートとエンターテインメントの融合と進化
 会期:1月21日(日)~2月4日(日)

・黒川紀章展 ― 機械の時代から生命の時代へ
 会期 :1月21日(日)~3月19日(月)

・大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産
 会期:4月7日(土)~7月2日(月)

・アムステルダム国立美術館所蔵 フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展
 会期:9月26日(水)~12月17日(月)
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by puyan27 | 2007-01-21 23:50 | 建築・庭園
 彦根城城郭めぐりを終わったあとは旧彦根藩主井伊家菩提寺である龍潭寺(りょうたんじ)へと向かいました。もちろん目的は枯山水の名庭と言われる「ふだらくの庭」を観るためです。
一面に白砂を敷き、大小四十八石を配して観音菩薩の浄土である補陀落山(ふだらくせん)の一帯をかたどった江戸初期の枯山水の名庭です。平安時代の僧、慧萼(えがく)が中国に渡った後、観音様を抱いて帰国する途中に上海沖の舟山列島にまできたとき観音菩薩の導きによって、島のひとつに補陀落山寺を建てて観音様を安置されたという故事にちなみ、その霊場を顕しています。
~配布パンフレット説明を引用~

e0034068_23303823.jpg庭園の様子(その1)

作庭は開山昊天和尚です。

e0034068_2331989.jpg庭園の様子(その2)

中央の島が補陀落山、一番中央の石が観音様の立姿、その右横の船の形をした石が慧萼が渡った船(私たちの世界と仏の世界の渡し船)、白砂は大海、砂紋はさざ波、奥の杉垣が水平線、さらに奥の生垣が雲を表しております。

e0034068_23312253.jpg庭園の様子(その3)

冬にもかかわらず生き生きとして鮮やかな色を発している苔の力強さにも驚きを隠せません。

e0034068_23314259.jpg庭園の様子(その4)

このお寺の見所はこの他にも小堀遠州と開山昊天和尚合作の書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」や蕉門十哲の一人、森川許六(きよりく)作の方丈襖絵五十六面などがありますのでそちらも必見です。
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by puyan27 | 2006-12-30 23:51 | 建築・庭園

玄宮園

 黒門をくぐると順路的に大名庭園「玄宮園」に向かうことになります。前日は雪が降ってましたので雪景色の庭園の美しさを味わえるかなと思ってましたが、ちょっと解けてしまったようでいささか中途半端な感じではありました。冬の時期ならではの表情でしたが素晴らしい庭園でした。
大池泉回遊式の城郭庭園で延宝5年(1677)第4代藩主井伊直興が造営しました。中国湖南省洞庭湖の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景や、竹生島・沖の白石になぞらえて築庭されたもので、中国唐時代の玄宗皇帝の離宮からその名をとりました。江戸時代初期の作庭を今に伝える名園で、昭和26年に国の名勝に指定されております。
~玄宮園説明文より引用~

e0034068_22312597.jpg槻御殿(楽々園)

第4代藩主井伊直興により下屋敷として築造されたもので木材はすべて槻(ケヤキ)です。大老井伊直弼も文化12年(1815)10月29日にここで生まれました。

e0034068_22313764.jpg庭園の様子(その1)

手前の島は鶴鳴渚、池は魚躍沼、奥の建物は臨池閣という名前がついております。天守がちょこんと見えるのがとても印象的です。

e0034068_22315181.jpg庭園の様子(その2)

あとあと気が付いたのですが写真ではわかりにくいですが西の丸3重櫓が少しだけ見えております。また、左の橋を渡ってすぐの建物が鳳翔台です。

e0034068_2232231.jpg鳳翔台

この建物は庭園内の建造物群の一角にあって、庭の景色を眺めながら、藩主が賓客をもてなす場所でありました。鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所という意味からこの名が付けられました。

e0034068_22321762.jpg鳳翔台(内部の眺め)

ここで抹茶を頂くことができます。寒さにかなりやられていた私にとってはとてもありがたかったです。冬は写真のように硝子越しの眺めですが夏にはこの戸は外してしまうそうです。四季折々の表情を楽しんでみたいところです。

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by puyan27 | 2006-12-30 23:29 | 建築・庭園

帝国ホテル中央玄関

 12月9日に自由学園明日館を訪れることにより、フランク・ロイド・ライトの建物に触れることができましたが更に探求心が深まりました。調べてみると、日本で彼の作品を観ることができるのは愛知県犬山市の明治村にある帝国ホテル中央玄関と兵庫県芦屋市のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)のみのようです(正確には東京都世田谷区の電通八星苑(旧林愛作邸)もありますがこちらは非公開)。というわけでまずは明治村へ向かいました。

e0034068_3513156.jpg正面外観(その1)

ここって明治村の5丁目にあるので1丁目から見始める人は時間配分に注意が必要です。本当はガイドさんの案内を聞きたかったのですが時間的に無理でした(T.T)。中央玄関部分だけなのですがそこって本当に一部分だけなんですよね。これが全部残っていたらと嘆いている方々がおられるのは本当にわかるような気がしました。

e0034068_3514453.jpg正面外観(その2)

私の第一印象は今時のホテルに見慣れているせいもありますがとてもホテルには見えませんでした。マヤ文明の影響を受けているだとかの説もあるようですがマヤ文明自体もよく知らないのでなんとも言えません。でも幾何学模様のインパクトが強烈で遺跡のようだなとは思いました。

e0034068_3515593.jpg正面外観(ポルト・コシエ部分)

建築資料研究社の「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」によりますとポルト・コシエとは車寄せの上に大きく張り出した玄関先の屋根のことだそうです。

e0034068_352134.jpg表象的の壺



e0034068_3522687.jpg正面外観(その3)

e0034068_3523668.jpg軒先飾り

e0034068_353342.jpgエントランス・ホワイエ

本当は扉が閉まっている状態を撮りたかったです。扉のデザインがまた素晴らしかったので。。。

e0034068_3532371.jpgロビーの様子(その1)

e0034068_3544048.jpgロビーの様子(その2)

様々な幾何学模様による装飾で光にフィルターがかかるので光の差し方が独特に感じました。

e0034068_354582.jpgロビーの様子(その3)

奥に見えるティーバルコニーではお茶をすることができます。私もそうしたかったのですが時間がなくて断念しました(T.T)。

e0034068_3551061.jpgロビーの様子(その4)

このテーブルもライトデザインによるもののようです。

e0034068_3553168.jpgテラコッタ

大谷石の彫刻、スクラッチレンガと組み合わさって素晴らしい装飾が実現しております。細部を観ていけば観ていくほど新たな発見があって面白いです。

e0034068_3554464.jpgステンドグラス

千鳥格子(?)のデザインがまた印象的です。

e0034068_3555575.jpg紳士用ラウンジ

e0034068_3561196.jpg主階ギャラリーの照明

照明により作られる影も美しいと思いませんか?

e0034068_3564465.jpg婦人用ラウンジ

白い天井の幾何学的な線もすごく印象的です。ラウンジを男女分けたのはなぜなんでしょうか?
 建築が好きな人でフランク・ロイド・ライトの建物に惹かれていった人はこんな感じではまっていったんだろうなあとつくづく実感しました。
 余談ですが明治村ってものすごく面白いですね。70近くも建物があるとさすがに1日で観るのはきついです。朝一の9時半から見始めても私の場合は無理でした(T.T)。ガイド案内で建物の中に入らせてくれるものも多数あってぜひとも内部を拝見したいものもたくさんありましたのでここを制覇するにはかなり時間がかかるでしょう。
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by puyan27 | 2006-12-29 19:49 | 建築・庭園

旧開智学校

 松本城を見学した後は、徒歩で北上し、重要文化財に指定されている旧開智学校を観てきました。
規模・構造 木造二階建 寄棟造 桟瓦葺 中央部八角塔屋付 建築面積517㎡
設計・施工 立石清重(1829-1894松本)
沿革
明治 6年(1873)5月 創立
明治 9年(1876)4月 松本の中心部を流れる女鳥羽川沿い(現中央2丁目)に擬洋風校舎を新築。当初は二階建の教室棟を逆L字型に配し、延面積2653㎡、児童収容数1300人の規模だった。建築費約1万1千円のおよそ7割を松本全住民の寄附によって建築した。
昭和36年(1961)3月 国の重要文化財に指定された。
昭和38年(1963)3月 閉校。小学校として90年の歴史を閉じる。
昭和39年(1964)8月 現在地へ解体、移築、復元。
昭和40年(1965)4月 教育資料館として公開。所蔵資料約8万点、その一部を館内に展示している。
~入口説明より引用~

e0034068_8194561.jpg外観

内部には当時の写真や模型が展示されておりますが、写真の右側より後ろには逆L字型に校舎があったのですが現在はありません。

e0034068_8195938.jpg正面玄関(外側から)

藤森照信さんの本で「擬洋風建築」という言葉が出てましたがこの建物を観るとたしかにわかるような気がします。和なんだか、洋なんだか。。。そのよくわからんところが面白いのではありますが。

e0034068_8201058.jpg1階 特別展示室

机や椅子などもかなり昔のもののようですが当時はこんな感じの教室だったんでしょうね。

e0034068_8202183.jpg1階 丸柱

旧開智学校の建築木材には全久院という廃寺の古材が転用されている部分がたくさんあります。講堂の間仕切り部分の柱や中央廻り階段の丸柱がそれにあたり、欅を使用しています。130年以上も前から建物を支え児童たちを見守ってきた柱です。

e0034068_820329.jpg1階 正面玄関(内側から)

この正面玄関と、2階建ての車寄せ部分は、八角塔とともに、校舎の最も特徴的な部分です。この玄関が使われたのは、明治天皇の御巡幸など特別な時に限られ、通常、児童たちは、反対側の扉から出入りしていました。1階正面の龍の彫刻は、日光東照宮の龍をまねて彫られたといわれています。

e0034068_8204148.jpg1階 正面玄関中央部分の照明

e0034068_8205056.jpg2階 桟唐戸

彫刻のついた桟唐戸は校舎内に八面あります。そのうちこの桟唐戸は、校舎に現存している扉彫刻の中で最も古いものです。浄林寺から転用された扉で、伊勢町の木彫師原田蒼渓の作です。波形と飛龍のできあがりが大変優れています。また講堂のシャンデリアの彫刻も原田蒼渓の作です。

e0034068_8205952.jpg2階 桟唐戸の彫刻部分

e0034068_82196.jpg2階 講堂

e0034068_8211931.jpg2階 八角塔への扉

旧開智学校のシンボルである塔屋への入り口です。内部には時報用の鐘が吊られています。当初は太鼓楼でしたが、洋鐘に変更されました。通常は公開しておりませんが、年に一度だけ、時間限定で公開しております。また、1年に3日、1日3回だけ、鐘を鳴らしています。

ここはぜひとも入ってみたかったのですが残念(T.T)。

e0034068_059212.jpg現在の開智小学校

今でもやっぱり中央には塔はあるんですね。意識して作ったんでしょうか。
各写真の説明は設置されていた説明文を引用させていただきましたm(__)m。日本で最も古い小学校のひとつが復元したものとはいえこうして残っているなんて貴重ですね。
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by puyan27 | 2006-12-23 20:17 | 建築・庭園

自由学園 明日館

 今日は巨匠建築家フランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新による設計の自由学園明日館(みょうにちかん)が休日見学デーでした。HPの見学カレンダーを見ると大体1ヶ月に一回ほどで実施しているようです。天気が悪く、多少行くのを迷いましたが次の休日見学デーまで1ヶ月はさすがに待てませんのでめげずに行ってきました。

e0034068_23561355.jpg外観の様子

池袋駅メトロポリタン口から5分くらいのところにあり、アクセスはかなり良好です。素人ながら、ぱっと見は豪華さ、重厚さというものは全くなく、むしろ質素な感じですが形としては中央ホールが非常にインパクトがあるなと思いました。喫茶付見学でいざ中へo(^-^)o ワクワク。

e0034068_23562719.jpgホールの様子(その1)

建物中央のホールを内部から見た様子です。幾何学模様の窓枠は本当に特徴的でなんともいえないですね。またギリシャ神殿の柱を彷彿とさせるのもなんとなく納得です。

e0034068_23564038.jpgホールの様子(その2)

上記窓側から見たホールの様子です。奥には暖炉があり、本日は火がともっていてとても暖かかったです。消防署に許可をとらないといけないのでいつもつけることはできないと言われてました。見た感じ上部にはロフトのようなものがあるように見えますがここにミニミュージアムがあります。大谷石という石を使用したり、照明ひとつひとつのデザインも個性的です。

e0034068_23565298.jpgホールに置かれていた家具

背もたれの部分が六角形の形をしたこの椅子はまた個性的なデザインですね。フランク・ロイド・ライトと遠藤新のデザインとのことですが実は確かな証拠は残ってないのだとか。

e0034068_2357510.jpg食堂の様子

ここはこの建物の中でも見逃せない場所ですね。照明のデザインが圧巻です。私が訪れた時はちょうど食事中でそれが終わるまで見学は不可でしたのでちょっと待ちました。

e0034068_2357163.jpgホール横玄関付近の様子

見ての通り玄関や窓等ひとつひとつがすべて幾何学模様になっております。

e0034068_23573099.jpg大教室タリアセンの様子

他にも教室はいくつかあり、「としま」「ドマーニ」「マニャーナ」などと名前がついております。公開講座のようなものが開催されて使用されているようです。

e0034068_23574576.jpgライブラリーの窓

ライブラリーがあり、申し込めばフランク・ロイド・ライト関連の資料を見ることができます。この部屋にあった窓枠の幾何学模様ごしに見える黄色の銀杏がなんともいえませんでした。

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by puyan27 | 2006-12-09 23:57 | 建築・庭園