ぷーやんのブログ 旅行や趣味、自分で思ったりしたこと等のひとりごと。


by puyan27

カテゴリ:建築・庭園( 35 )

神田淡路町・神田須田町

 万世橋より近くの神田淡路町、神田須田町付近には昔ながらの風情のある建物のまま、営業が続いているお店がいくつか点在しております。なかなか素敵でしたのでさらっと紹介したいと思います。

e0034068_0525153.jpg藪蕎麦(やぶそば)

お蕎麦屋さんです。
 幕末の名舗、団子坂の蔦屋の連雀町店を明治13年に譲り受けた堀田七兵衛が屋号を「藪蕎麦」として営業を始めました。
 以来百余年、蔦屋廃業により藪蕎麦本店としての看板を受け継ぎ、江戸っ子気質が育てた独特の味の伝統を守り、風雅名店構えとともに広く内外各界も方々に親しまれて今日に至っております。

e0034068_053782.jpgまつや

お蕎麦屋さんです。
 明治初期、福島家の初代市蔵翁、この地にて創業、其の後二代を経て関東大震災後、小高家の初代政吉これを継承。現当主登志は三代目。神田多町の青果市場を前面に下町の典型的なそば屋として繁盛する。
 戦後は江戸の手打そば、江戸の味を残すことを店の信条に掲げ現在に至る。

e0034068_0531955.jpg竹むら

お汁粉屋さんです。
 昭和五年創業、当時、神田に本格的な汁粉屋がなかったことから、汁粉屋らしい汁粉作りを目指して開業しました。北海道小豆を原料とした自家製の餡を使用して、伝統の味を守り続けています。
 春から夏は、あんみつ、氷しるこ、秋から冬は、揚げまんじゅう、粟ぜんざいが好評です。

e0034068_0533083.jpgいせ源

あんこう鍋のお店です。
 関西のふぐに関東の鮟鱇といわれますが、当店は天保元年(一八三〇年)の創業以来百五十年余り、あんこう料理専門店として皆様の御贔屓に預かっております。江戸情緒の残るお店で自慢の鍋をご賞味ください。
 尚、あんこうの賞味期間は九月より翌年四月までです。

e0034068_0534226.jpgぼたん

鳥のすきやきのお店です。
 鳥のすきやき一筋に明治三十年の頃より営業をつづけております。昭和初期の建物で、未だにガスを使わず備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を落とさぬよう心がけて参りました。
 戦災をまぬがれた神田の一角にまだまだうまいものがそろっているという誇りもございます。

e0034068_0535679.jpg万世橋の様子

JR秋葉原駅から徒歩5分くらいのところです。肉の万世本店のビルもあるのですぐにわかるでしょう。

 この日は結局、蕎麦が目的でしたので藪蕎麦、まつやとはしごで食べてしまいました。味については特に触れないで~す。グルメレポもしたいところですが、何しろ舌が肥えてませんので。。。(T.T)。
 各お店の説明は神田食味新道御案内(藪蕎麦さんのカウンターに置いてありました)を引用しておりますm(__)m。
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by puyan27 | 2006-11-22 23:57 | 建築・庭園

殿ヶ谷戸庭園

 先週は天気に恵まれなくて、箱根に紅葉を観に行くことができませんでしたが、今日はなかなか良い天気。国分寺市の殿ヶ谷戸庭園は東京都公園協会管轄系なのにまだ行ったことがありませんでしたので、美しい紅葉を期待して早速向かいました。

 この庭園は、大正2年から4年(1913~15)にかけて、南満州鉄道会社副総裁・貴族院議員を歴任した江口定條の別邸として設けられ、赤坂の庭師「仙石」の手によって武蔵野の地形を巧みに活かして造られたものです。昭和4年(1929)、三菱財閥の岩崎家が買収し、津田鑿の設計により本館、茶室(紅葉亭)などが建てられ、自然風景的な廻遊式林泉庭園として整備されました。
 この庭園は、国分寺崖線の南の縁にあって典型的な段丘崖を含んだ地形に造られています。次郎弁天の池には「ハケ」と呼ばれる水量豊かな湧水があり、段丘崖の南を流れる野川の水源のひとつとなっています。この段丘崖の南傾斜は日当たりも良く、この湧水に恵まれ、肥沃な大地が地表を厚く覆っているため、カタクリ、シュンランなどの野草とともに、野鳥や昆虫などの小さな生き物たちが数多く生育し、古くからの豊かな武蔵野の自然の姿が見られます。
 大正から昭和初期にかけて多摩地域に開発された別荘地に付随して造られた庭園で、現在わずかに残されている文化財庭園として東京都の名勝に指定されました。
~配布パンフより引用~

e0034068_2216090.jpg次郎弁天の池と紅葉亭

右上に紅葉亭がもみじの木々の間から見えているのですが写真がいまいちですね(T_T)。

e0034068_22161957.jpg次郎弁天の池の様子(その1)

e0034068_22163680.jpg次郎弁天の池の様子(その2)

この池も鯉がたくさん泳いでいてなかなか素敵です。なかなか人になついているようです。普段、人が餌をあげているんでしょうね。

e0034068_22165185.jpg次郎弁天の池の様子(その3)

まだ、紅葉は早いようです。この写真のように色づきはじめのものもありますがほとんどのモミジはまだ緑色でした。都内はまだ時期的に早いんですかね。残念。

e0034068_2217789.jpg紅葉亭

ここから次郎弁天の池近辺を一望できます。かなり高低差があるので不思議な感じです。夏なんかも涼しくてよさそうですね。

e0034068_22172498.jpg次郎弁天の池の様子(その4)

紅葉亭から一望した様子です。見てのとおりモミジがかなり多いんですよ。これがすべて紅くなるときは美しいんだろうなあ。建物の名前も紅葉亭っていうくらいですからね。

e0034068_22174039.jpg湧水源

ここから湧き出る水で池ができているようです。東京の名湧水57選のひとつでもあるようです。

e0034068_22175585.jpg鹿おどし

鹿おどしの始まりは京都の名勝一乗寺の詩仙堂に由来する旨の説明が書かれてましたが知りませんでした。詩仙堂に行った時にこんな話ってあったっけ?と振り返ってしまいましたが思い出せない・・・。

e0034068_22181584.jpg庭園の様子

次郎弁天の池以外の場所はこんな感じです。芝生ってことはこの庭園も和洋折衷なんですね。洋館はさすがにありませんが。。。

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by puyan27 | 2006-11-18 22:50 | 建築・庭園

旧細川侯爵邸

 東京文化財ウィーク第3弾として、これまた特別公開中(事前申込要)である旧細川侯爵邸を観に行って来ました。場所は有楽町線護国寺駅から徒歩で10分くらいのところで(財)和敬塾の敷地内にあります。

 旧細川侯爵邸は、関東大震災後の昭和7年(1932)、建物の設計を大森(茂)建築事務所に、施工を大林組に依頼し、昭和11年(1936)12月に竣工しました。鉄筋コンクリート造、地下1階・地上3階建、銅板段葺屋根及び陸屋根で、延床面積は約1863.59㎡。正面西寄りに玄関ポーチを張り出し、南側には庭園に面して広いテラスを設けています。建物内部は、機能上二つの空間に区分され、1階はほとんどが接客部分に充てられ、2階及び3階は日常生活部分となっています。
 建築様式はチューダー・ゴシック様式を基調としていますが、純和風の座敷をはじめ、卍崩しのデザインなど社寺建築の意匠も散見され、随所に和洋折衷の表現がなされています。また、邸内の敷地は当時よりは狭くなってきますが、旧態を良く留めています。保存状態も良く、かつての恵まれた環境の中に立地する昭和初期の本格的な邸宅建築として貴重な遺構です。
~配布パンフより引用~


e0034068_20371543.jpg庭側からの外観の様子

青空に芝生、そして洋館というのはいつ見ても美しいですね。

e0034068_20373129.jpg1階エントランス

卍崩しってどこのことを言っているのかなあ。ちょっとよくわからなかったです。メインの階段の造りっていうのはやっぱりどこも似ていますね。直線ではなくて一度折り返していますよね。

e0034068_20375021.jpg2階階段ホール

ちょっと写真ではわかりませんが左手の絵は向井潤吉さんのものだと説明されてました。絵の名前も言われてましたが忘れてしまいました(T.T)。

e0034068_2038738.jpg2階和室

e0034068_20382127.jpg2階小食堂

サラセン風のデザインを取り入れているとのことですがサラセンの意味を知りませんでした。イスラム建築風のって意味合いなんでしょうか。

e0034068_20383661.jpg2階竹の間

夫人の部屋です。

e0034068_20384673.jpg1階栗の間

当主の部屋です。書が飾ってありますがこれは愛新覚羅溥傑のものだそうです。和敬塾のHPに載っている写真は全くカーテン、絨毯、家具がないのですが一見比べると同じ部屋とは思えません。やっぱり全然印象が変わってしまうんですね。

e0034068_20385736.jpg1階食堂

e0034068_20391135.jpg1階サンルーム

元は魚の間とも呼ばれていたようです。ちょうど庭側からの外観で半円状に突出している部分にあたる部屋ですね。最も親しい人を案内した部屋だったとか。

e0034068_20392241.jpg1階応接室

一通り見終わった後、ここでティータイム(^ヘ^)v。初めてお会いした方々とお話できましたが皆さん趣味が似ているなあと思いました。こういった建物が好きなんですね。

 3階と地下1階もあるはずなんですが、そこには案内されませんでした。公開している時とそうでない時があるんでしょうか。特に3階は見てみたかったですね。残念。
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by puyan27 | 2006-11-12 20:44 | 建築・庭園
 引き続き、東京文化財ウィークで特別公開中の旧渋沢家飛鳥山邸 晩香廬 青淵文庫を観に行って来ました。南北線西ヶ原駅から徒歩10分くらいのところにあります。

 旧渋沢家飛鳥山邸は曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅です。かつては本邸住宅や茶室等の建物がありましたが、昭和20年の空襲でほとんどの建物が焼失した中で、晩香廬と青淵文庫は戦災を免れました。
 晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組出資社員筆頭清水満之助が贈った建物で、大正6年(1917)に竣工しました。木造平屋建、寄棟造赤色桟瓦葺、建築面積79.24㎡の小亭です。内部にある談話室北面には、暖炉が据えられ、その周りは黒紫色のタイルを芋目地にして張り、上部中央に「壽」を現したタイルを嵌め込み、左右にステインドグラスが設えられています。また、軸組の栗材、屋根の赤色をした塩焼き瓦、外壁の錆入り西京壁、漆喰のレリーフなど、細部にわたり優れた意匠をみることができます。
 青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して竜門社((財)渋沢栄一記念財団の前身)が贈呈した小図書館で、大正14年(1925)に竣工しました。煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建、建築面積は213.67㎡です。1階は閲覧室、記念品陳列室などで、2階は書庫になっています。外壁は白い月出石で、テラスに面した閲覧室の開口部周りに渋沢家の家紋「丸に違い柏」をモチーフとした装飾タイルを張り、扉上部にあるステインドグラスには「竜」「柏」「壽」の文字が描かれ、華やかさを添えています。
 共に大正期を代表する建築家田辺淳吉(1879~1926)による設計で、機械生産では作られない精緻な技術をもつ芸術的な建築として重要な文化財です。
~配布パンフより引用~


e0034068_205598.jpg青淵文庫の外観の様子

e0034068_212243.jpgステンドグラス部分

このステンドグラスは内部からお見せしたいところなんですが撮影は禁止なのでお見せできなくて残念。とても美しいです。作者はいったい誰なのかといった説明が書かれてましたが推測でしかわからないようです。またこのレプリカも置いてありました。

e0034068_213592.jpg鉄格子部分

この文字は「壽」なのかな?

e0034068_215012.jpg晩香廬の外観の様子(その1)

渋沢栄一はここに数多くの内外の賓客を迎えています。その写真が残っている(渋沢資料館で見ることができます。)のですが見ると各国の幅広い方々と交流があったことがわかります。この時代の日本人って西洋文化に強い影響を受けながらもまだ国としてのアイデンティティがちゃんと残っていてよいなあと思ったりもしました。

e0034068_2217.jpg晩香廬の外観の様子(その2)

e0034068_221416.jpg晩香廬の外観の様子(その3)

こちらも内部の撮影は禁止なので紹介できなくて残念です。内部の装飾はとても美しくて見る価値はあると思いますよ。ただいま、来年の5月6日まで、土日・祝日の12:30-15:45に限って公開しているようです。ぜひとも足を運んでみてください。

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by puyan27 | 2006-11-04 21:36 | 建築・庭園

求道会館

 ただいま東京文化財ウィーク2006開催中ですが、特別公開の「求道会館」を観に行って来ました。本郷の東京大学正門より5分ほど歩いたところに建っています。
 浄土真宗大谷派の僧侶であった近角常観(1870~1941)は、明治35年(1902)、若き日の欧州留学の体験を踏まえ、青年学生と寝起きを共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場としての求道学舎を本郷の地に開きました。
 その彼が会館の設計を建築家武田五一に依頼し、大正4年(1915)11月に、広く公衆に向けて信仰を説く場として建設した建物が、この求道会館です。
 煉瓦造の2階建、建築面積307.47㎡、延床面積508.03㎡です。
 会館内部の正面には、純和風の檜造で銅板葺屋根の六角堂が配置され、その後方上部壁面に大アーチの石膏レリーフが描かれています。会堂の1階は木製の長椅子式、2階はギャラリーで畳敷に会衆が参列する形式です。
 また会堂後部の部屋は「床の間」つきの畳敷の小会堂であり、様式の内部に和式の要素を取り入れ、不思議に調和した独特の内部空間を作り出しています。
~配布パンフより引用~

e0034068_2213461.jpg外観の様子

ぱっと見は浄土真宗の建物にはみえませんね。むしろキリスト教の教会?に思えます。

e0034068_2215369.jpg内部(1階)の様子

50年間廃墟で近所ではお化け屋敷と言われていたみたいですが見事に修復されています。中央にある六角堂が不思議な感じです。こんな建物はどこにもないでしょうね。

e0034068_222571.jpg内部(2階)の様子(その1)

2階もかなり広くて椅子はありませんが会衆が広く座ることができます。鉄の柵の部分が卍なのも仏教の建物であることを感じさせます。

e0034068_2221687.jpg内部(2階)の様子(その2)

六角堂側から見た2階の様子です。天井の梁?もなかなか印象的ですよね。空間が広いってやっぱり気持ちいいですね\(^O^)/。

e0034068_2223174.jpg2階の窓

ステンドグラスが木になってますが、これは菩提樹らしいです。これも仏教であることを教えてくれてます。武田五一さんがアールヌーボーの影響を受けているとのことを解説の方が教えてくれました。やっぱり説明を聞くと全然違いますね。

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by puyan27 | 2006-11-03 16:20 | 建築・庭園

法務省旧本館

 だいぶ投稿が遅くなりましたが、法務省旧本館(赤レンガ棟)で赤れんが秋まつりというイベントが開催されており、内部も観ることができるとのことで行ってきました。
 赤レンガ棟は、河合浩蔵とエンデ&ベックマン建築事務所のリヒャルト・ゼールが現場監督を務めるなか、明治21年(1888)に着工され、明治28年にようやく竣工したとのことです。

e0034068_330654.jpg赤レンガ棟の外観(その1)

建物の規模が大きくて見事です。
e0034068_3302553.jpg赤レンガ棟の外観(その2)

e0034068_3304023.jpg赤レンガ棟の外観(その3)
e0034068_3305379.jpg赤レンガ棟の内部

やはり撮影は基本的にはやめて欲しいとのことでしたのでこれくらいしか内部はとれませんでした(T.T)。仕方ないですね。内部の2階にあるメッセージギャラリーではいろいろな当時の写真等が展示してあったり、建物の説明があってとても興味深かったです。

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by puyan27 | 2006-10-01 22:22 | 建築・庭園

明治生命館

 出光美術館を探そうとうろうろしているうちに遭遇したのですが、素晴らしかったので紹介。皇居外苑付近は見事な建物が建ち並んでますがその中の明治生命館はギリシャの列柱が建ち並び、一際目を引きます。平日は普通にオフィスとして現在も使用されておりますが、土日は一般公開しているようです。しかも入場は無料。
明治生命館が竣工したのは、昭和9年(1934)3月のことです。建物の設計は、明治末から昭和初期にかけて活躍した建築家で、東京美術学校(現東京芸術大学)教授の岡田信一郎。建物全体の構成や設備の充実度から、昭和初期におけるオフィスビルの最高峰を示すものといわれています。
戦時中の金属回収、東京大空襲、そして終戦時にはアメリカ極東軍司令部(FEAF)として使用するためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会(ACJ)の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館には、そのすみずみにまで時代の記憶が刻印されています。平成9年(1997)、昭和の建築物として初めて国の重要文化財に指定されました。
パンフレットより引用

e0034068_7593473.jpg明治生命館外観
e0034068_7595046.jpg会議室

e0034068_80268.jpg食堂
e0034068_801366.jpg応接室(その1)

e0034068_802571.jpg応接室(その2)
e0034068_803615.jpg店頭営業室(その1)

e0034068_804767.jpg店頭営業室(その2)
e0034068_805720.jpg旧明治生命館模型

昭和5年5月に現在の本館を建設のため取り壊されるまで建っていた三菱二号館(明治28年(1895)完成)の模型です。設計は英国人建築家J.コンドルと愛弟子の曾禰達蔵だそうです。

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by puyan27 | 2006-09-23 23:39 | 建築・庭園
 小田急線の生活情報誌CUE!を見ていたら、東京ジャーミィ・トルコ文化センターが代々木上原駅近辺にあるとの情報が載っておりこんな建物あったっけ?と半信半疑ながら早速向かってみました。
東京ジャーミィは、東京に移住したカザントルコ人によって1938年に祈りの場としてオープンされ、1986年に老朽化のため取り壊された。その後トルコ共和国宗教庁ならびに東京モスクファンデーションによって再建された。躯体工事は鹿島建設、内部及び外部仕上げ工事はトルコ人職人と技術者によって行われた。設計はムハッレム ヒルミ シェナルブ。渋谷区役所と区民の皆様のご協力に感謝します。
説明を引用
e0034068_2224448.jpg外観の様子(その1)

とおりがかりにこんな建物あったら誰でも目を引きますよね。
e0034068_2225098.jpg外観の様子(その2)

e0034068_22251215.jpg1階入口ホール
e0034068_22252252.jpg1階多目的ホール

e0034068_2225349.jpg2階礼拝所入り口

イスラム教徒ではないながらも神聖な場所であるはずなのでちょこっと緊張感がありました。早速中へ。
e0034068_22254861.jpg礼拝所内部の大ドームと大シャンデリア

イスラム文明の芸術がちりばめられており、非常に美しいと感じました。これを見ればトルコという国の文化に対する興味が自然とわくような気がします。

e0034068_22255951.jpg礼拝所の様子(その1)

2階へあがることができる(写真右上部分)みたいなのですが、女性のみのようです(T.T)。これって宗教的なものなんですかね。
e0034068_22261055.jpg礼拝所の様子(その2)

イスラム教の信者の方がお祈りをされてました。また、コーランと思われる本が置いてありましたのでちらっと覗いてみましたがうーむ、さっぱり読めないw。

e0034068_22262089.jpg外観の様子(その3)

おまけで夜の様子を載せてみました。ライトアップされていて綺麗ですね。

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by puyan27 | 2006-09-10 22:01 | 建築・庭園

江戸東京たてもの園

 昔懐かしの建物を観たく、小金井市の小金井公園内にある江戸東京たてもの園へ行ってきました。農家(民家)などは川崎市立日本民家園や三溪園などで観ていたのでもっと別の建物を観たかったんです。ここには昭和初期のお店の建物などがあるんですよ。ちょいと紹介したいと思います。

e0034068_2327969.jpg万世橋交番

建築年  :明治時代末期(推定)
旧所在地 :千代田区神田須田町一丁目
寄贈者  :警視庁

e0034068_23272931.jpg村上精華堂(化粧品屋)

建築年  :1928年(昭和3)
旧所在地 :台東区池之端二丁目
寄贈者  :増田忠男氏(日増屋)
協力者  :村上かん氏

e0034068_23274185.jpg丸二商店(荒物屋)

建築年  :昭和初期
旧所在地 :千代田区神田神保町三丁目
寄贈者  :学校法人 専修大学
協力者  :池田 節氏(旧所有者)

e0034068_23275443.jpg丸二商店(荒物屋)横の路地の様子

盆栽や釣しのぶ付きの風鈴などがこれまたいい感じに雰囲気を醸し出してます。

e0034068_2328761.jpg花市生花店

建築年  :1927年(昭和2)
旧所在地 :千代田区神田淡路町一丁目
寄贈者  :青山総業株式会社

e0034068_23282223.jpg武居三省堂(文具店)

建築年  :1927年(昭和2)
旧所在地 :千代田区神田須田町一丁目
寄贈者  :三井不動産株式会社

e0034068_23283458.jpg植村邸

建築年  :1927年(昭和2)
旧所在地 :中央区新富二丁目
寄贈者  :長谷川浩一氏

e0034068_23284778.jpg子宝湯

建築年  :1929年(昭和4)
旧所在地 :足立区先住元町三丁目
寄贈者  :平岡徳朗氏

e0034068_23285775.jpg小宝湯内部の様子

小学校の頃よく友達と銭湯に行ったりしたのを思い出しちゃいました。ちなみにこの建物は「千と千尋の神隠し」に登場する「湯屋」のモデルとなったらしいです。なんか話を聞いてはいたがここにあったんですねえ。

e0034068_2329963.jpg東ゾーンの様子

ちょうどこの日は「下町夕涼み」特別夜間開園というイベントの日だったみたいで夕方からは人がものすごく多くなりました。盆踊りもやっており、ドラえもん音頭が流れてくると妙に懐かしく感じましたね。

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by puyan27 | 2006-08-05 22:59 | 建築・庭園
 先週に引き続き、またまた紫陽花鑑賞に行ってきました。いろいろと迷いましたが人混みは避けたかったので向島百花園へ行ってきました。
 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう)が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園されました。百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。開園当初は360本のウメが主体でした。その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に読まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。唯一現代に残る江戸時代の花園です。
 昭和13(1938)年、永久保存のため所有者から東京市に寄付され、翌14(1939)年に東京市かが有料で制限公開を開始。なお、昭和53(1978)年に文化財保護法により国の名勝・史跡に指定されました。
向島百花園パンフレットより引用

e0034068_23134969.jpg園の様子(その1)

藤棚下のベンチから望んだ園の様子です。

e0034068_2314188.jpg園の様子(その2)

こんなところにトカゲが・・・。久々に見ましたねえ。小さいときにしっぽをふんでしまった記憶が脳裏を横切りました。この園、ザリガニやトンボなども普通にいるんですよ。蚊が多いのはちょいと気になりますが昔はちっとも珍しくなかったですよね。やっぱり自然って特に東京近辺は減っていっているんだなあ。

e0034068_23143049.jpgすみだの花火

すごく大きい株で見応えがありますね~。ここまで大きいのはそうそうないでしょう。今回のここに来た目的のメインともいえるべきものです。

e0034068_23144417.jpg桔梗

もうこの時期は咲いているんですね。この花は個人的に好きなので載せてみました。

e0034068_2315024.jpg萩のトンネル

9月が見頃らしいのでまだまだ何も咲いてないですがこれだけ長いトンネルだと見応えあるでしょうね~。ぜひとも秋にも訪れてみたいです。

e0034068_23151328.jpg園の様子(その3)

池もなかなか涼しい感じです。ここの池は水源はどこなんでしょうかね。泡のようなものが見えますがこれなのかな。。。

e0034068_23152541.jpg睡蓮鉢

4つあった睡蓮鉢の一つです。小さな金魚がかわいらしくて風情がありました。ちょい小さめの睡蓮鉢って自分でも欲しいですね。

e0034068_2315367.jpg園の様子(その3)

現在見頃の植物の名前がこのようにリストアップされています。

 ちなみにここの紫陽花を観に行く場合は、長谷寺のようなたくさんの株があって豪華に咲いている感じを求めて行くと期待はずれになるのでご注意を。そうではなくて、様々な種類の紫陽花の1~2株が園のあちこちに植えられています。それでもこれはこれの良さがあるので興味がある方は一度は行ってみるとよいですね。周りもなかなか静かでよい所ですよ。
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by puyan27 | 2006-07-01 23:12 | 建築・庭園