ぷーやんのブログ 旅行や趣味、自分で思ったりしたこと等のひとりごと。


by puyan27

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 彦根城城郭めぐりを終わったあとは旧彦根藩主井伊家菩提寺である龍潭寺(りょうたんじ)へと向かいました。もちろん目的は枯山水の名庭と言われる「ふだらくの庭」を観るためです。
一面に白砂を敷き、大小四十八石を配して観音菩薩の浄土である補陀落山(ふだらくせん)の一帯をかたどった江戸初期の枯山水の名庭です。平安時代の僧、慧萼(えがく)が中国に渡った後、観音様を抱いて帰国する途中に上海沖の舟山列島にまできたとき観音菩薩の導きによって、島のひとつに補陀落山寺を建てて観音様を安置されたという故事にちなみ、その霊場を顕しています。
~配布パンフレット説明を引用~

e0034068_23303823.jpg庭園の様子(その1)

作庭は開山昊天和尚です。

e0034068_2331989.jpg庭園の様子(その2)

中央の島が補陀落山、一番中央の石が観音様の立姿、その右横の船の形をした石が慧萼が渡った船(私たちの世界と仏の世界の渡し船)、白砂は大海、砂紋はさざ波、奥の杉垣が水平線、さらに奥の生垣が雲を表しております。

e0034068_23312253.jpg庭園の様子(その3)

冬にもかかわらず生き生きとして鮮やかな色を発している苔の力強さにも驚きを隠せません。

e0034068_23314259.jpg庭園の様子(その4)

このお寺の見所はこの他にも小堀遠州と開山昊天和尚合作の書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」や蕉門十哲の一人、森川許六(きよりく)作の方丈襖絵五十六面などがありますのでそちらも必見です。
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by puyan27 | 2006-12-30 23:51 | 建築・庭園

玄宮園

 黒門をくぐると順路的に大名庭園「玄宮園」に向かうことになります。前日は雪が降ってましたので雪景色の庭園の美しさを味わえるかなと思ってましたが、ちょっと解けてしまったようでいささか中途半端な感じではありました。冬の時期ならではの表情でしたが素晴らしい庭園でした。
大池泉回遊式の城郭庭園で延宝5年(1677)第4代藩主井伊直興が造営しました。中国湖南省洞庭湖の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景や、竹生島・沖の白石になぞらえて築庭されたもので、中国唐時代の玄宗皇帝の離宮からその名をとりました。江戸時代初期の作庭を今に伝える名園で、昭和26年に国の名勝に指定されております。
~玄宮園説明文より引用~

e0034068_22312597.jpg槻御殿(楽々園)

第4代藩主井伊直興により下屋敷として築造されたもので木材はすべて槻(ケヤキ)です。大老井伊直弼も文化12年(1815)10月29日にここで生まれました。

e0034068_22313764.jpg庭園の様子(その1)

手前の島は鶴鳴渚、池は魚躍沼、奥の建物は臨池閣という名前がついております。天守がちょこんと見えるのがとても印象的です。

e0034068_22315181.jpg庭園の様子(その2)

あとあと気が付いたのですが写真ではわかりにくいですが西の丸3重櫓が少しだけ見えております。また、左の橋を渡ってすぐの建物が鳳翔台です。

e0034068_2232231.jpg鳳翔台

この建物は庭園内の建造物群の一角にあって、庭の景色を眺めながら、藩主が賓客をもてなす場所でありました。鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所という意味からこの名が付けられました。

e0034068_22321762.jpg鳳翔台(内部の眺め)

ここで抹茶を頂くことができます。寒さにかなりやられていた私にとってはとてもありがたかったです。冬は写真のように硝子越しの眺めですが夏にはこの戸は外してしまうそうです。四季折々の表情を楽しんでみたいところです。

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by puyan27 | 2006-12-30 23:29 | 建築・庭園

彦根城

 国宝の城めぐり第3弾は滋賀県彦根市の彦根城です。まさかこの地方はこの時期は雪が降るなんて全く知らずに向かってしまい、かなり寒さにやられました(T.T)。とはいえ素晴らしいお城でしたのでご紹介致します。
この彦根城は、慶長5年(1600)井伊直政が、関ヶ原の戦いに德川四天王の一人として戦功をあげ、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601)上野の国高崎城から佐和山城に移ってきました。
 その後直政は城を彦根山に移そうと考えましたが実現せず病死し、慶長8年(1603)その子直継が父直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手し、元和8年(1622)に完成しました。
~彦根城説明文を引用~

e0034068_19462285.jpg埋木舎

彦根藩第13代藩主、井伊直弼公が文化3年(1846)、第12代藩主である兄直亮の嗣子になるまでの青年時代(10代~32才)を過ごした場所です。ちょうどこの日は年末年始のためお休みでした(T.T)。ちなみに最近では「武士の一分」の撮影で使われたようです。

e0034068_19463241.jpg二の丸佐和口多聞櫓(重要文化財)
元和8年(1622)井伊直孝の第2期築城工事の際に完成したものといわれています。左側の建造物は、明和4年(1767)火災に遭い、明和6~8年に再建されました。右側の建造物は、明治初期陸軍省により取り壊されましたが、開国の大偉業を成し遂げた直弼が桜田門外に倒れた時(1860)から数えて100年目(昭和35年)の時大老開国百年祭記念事業としてその跡地(石垣は、築城当時のもの)に再建されたものです。

e0034068_1946426.jpg馬屋(重要文化財)

藩主の馬部屋で常時十数頭が何時でもご用に役立つよう大切に保護されていた建物で、現在残されているのは彦根城のみで他に類例のない珍しいものです。L字形をなしており、全長62.2m、奥行5.9mあります。

e0034068_19465772.jpg表門橋

ここより表坂(入口受付)に通じております。現在のものは、明治初期の写真や当時の文献を参考に、3年の歳月をかけ平成16年2月に復元したものだそうです。

e0034068_19471852.jpg彦根城博物館

もともとは彦根藩主の藩庁があったところで、ここで藩の政治が行われ、また藩主が日常生活を送りました。この建物は彦根城郭の主要な建物の一つであった表御殿を復元したものです。ここもこの日は年末年始のためお休みでした(T.T)。彦根城に来たら観るのは必須の場所でしょうね。井伊家の真紅の甲冑などの武具をぜひとも観てみたかったですがこれもまたの機会に。

e0034068_19472965.jpg天秤櫓(重要文化財)その1

この櫓は羽柴秀吉が創築した長浜城大手門を移築したものと言われております。ちょうど天秤のような形をしていることからこのような名前がついたようです。この形式は我が国城郭のうち彦根城ただ一つといわれております。

e0034068_19474389.jpg天秤櫓(重要文化財)その2

嘉永7年(1854)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ、西半分は落とし積みになっているとのことですが、素人な私にはいまいちわかりにくかったです。

e0034068_19475424.jpg聴鐘庵

大老井伊直弼は禅の精神と相通ずる茶道に惹かれ、自らも「宗観」と号し、修行を続けました。大老の著「茶の湯一会集」に書かれている「一期一会」の茶道精神は有名です。この建物はこの精神をしのび、時報鐘の管理棟を改造したもので薄茶の接待をしております。

e0034068_1948366.jpg時報鐘

この鐘は12代藩主井伊直亮の弘化元年(1844)に鋳造したもので、当初鐘の丸にあった鐘の音が城下の北の隅に届かなかったことため現在の位置に移しました。現在は午前6時、9時、正午、3時、6時よ1日5回ついております。またこの鐘の音が「日本の音風景百選」に選ばれているところも興味深いところです。

e0034068_1948123.jpg太鼓門櫓(重要文化財)

本丸の表口を固める櫓門で、築城後、ここに太鼓を置いて城中に合図したところから、この名がつきました。内部では彦根城の模型及び、全国各地の城の写真が展示されております。この模型と現在の様子を比較してみると井伊直弼大老の頃の様子と違いがわかり面白いですね。

e0034068_1948215.jpg着見台(月見櫓跡)

ここには9.8m(5間)に10.6m(6間)の2重櫓がありました。佐和に出る月を見て観月雅会が催されました。また城門佐和及び京橋口の監視に当たり、城門へ到着する早出、早馬、行列の先触などをいち早く発見して役人に連絡しました。明治初年に櫓は取り壊されました。月見櫓といえば前回に行った松本城が記憶に新しいですね。現存していないのが残念です。

e0034068_19482922.jpg着見台の眺め

e0034068_19483871.jpg天守(国宝)外観

京極高次が築いた大津城の天守を移築したものと言われ、慶長11年(1606)に完成しました。石垣は「ごぼう積み」といって外見粗雑に見えますが頑丈な積み方で彦根城特有のものです。3層3階なので規模が大きいわけではないですが火灯窓が特徴があるなあと思いました。

e0034068_19484623.jpg1階 武者溜

順路的には一番最後の箇所になります。ごらんのとおり階段ものすごく急です。お年寄りや子供には堪えますね。

e0034068_1948532.jpg1階 中央

e0034068_1949182.jpg2階 天井

決してまっすぐではない木なのですがうまく梁として組まれていますね。

e0034068_1949911.jpg2階

e0034068_19491898.jpg2階 中央

e0034068_19492917.jpg3階 中央

e0034068_19494036.jpg3階 天井

こちらの梁も必見です。最上部ですが2階よりも本数が多いようです。

e0034068_19495042.jpg3階の眺め

琵琶湖が一望できます。こうして観るとこの湖はまるで海のようです。

e0034068_1950352.jpg西の丸3重櫓(重要文化財)

本櫓は西の丸にあり、浅井長政の小谷城の天守を移築したものといわれ、万治年間(1658~61年)に建てられたものです。西の丸のほうは季節及び順路的なものだと思いますが、訪れる人は少ないようです。

e0034068_19501412.jpg黒門

ここを抜けて「楽々園」「玄宮園」に向かいます。
ちょうど訪れた時期、光の祝祭 彦根城ライトアップ「ひこね夢灯路」というイベントでお城近辺はライトアップされておりました。ただ、天守までは近づくことはできないようでしたが。。。
 彦根城では2007年3月21日より「国宝・彦根城築城400年祭」が開催されるようです。このイベントの目的・趣旨って共感できますね。ぜひともこの日本文化を次世代に継承していって欲しいものです。
 国宝4城めぐり、残るは姫路城のみとなりました。このお城は世界遺産ですし、我が国で現存する最も素晴らしいものであることはわかっているので重要文化財の8城「弘前城」「丸岡城」「備中松山城」「松江城」「丸亀城」「松山城」「宇和島城」「高知城」を先に観てからのほうがよさそうな気もしてきました。
 各写真の説明は彦根城に設置されていた説明文及び配布パンフレットを引用及び参照させていただきましたm(__)m。
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by puyan27 | 2006-12-30 20:03 |

帝国ホテル中央玄関

 12月9日に自由学園明日館を訪れることにより、フランク・ロイド・ライトの建物に触れることができましたが更に探求心が深まりました。調べてみると、日本で彼の作品を観ることができるのは愛知県犬山市の明治村にある帝国ホテル中央玄関と兵庫県芦屋市のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)のみのようです(正確には東京都世田谷区の電通八星苑(旧林愛作邸)もありますがこちらは非公開)。というわけでまずは明治村へ向かいました。

e0034068_3513156.jpg正面外観(その1)

ここって明治村の5丁目にあるので1丁目から見始める人は時間配分に注意が必要です。本当はガイドさんの案内を聞きたかったのですが時間的に無理でした(T.T)。中央玄関部分だけなのですがそこって本当に一部分だけなんですよね。これが全部残っていたらと嘆いている方々がおられるのは本当にわかるような気がしました。

e0034068_3514453.jpg正面外観(その2)

私の第一印象は今時のホテルに見慣れているせいもありますがとてもホテルには見えませんでした。マヤ文明の影響を受けているだとかの説もあるようですがマヤ文明自体もよく知らないのでなんとも言えません。でも幾何学模様のインパクトが強烈で遺跡のようだなとは思いました。

e0034068_3515593.jpg正面外観(ポルト・コシエ部分)

建築資料研究社の「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」によりますとポルト・コシエとは車寄せの上に大きく張り出した玄関先の屋根のことだそうです。

e0034068_352134.jpg表象的の壺



e0034068_3522687.jpg正面外観(その3)

e0034068_3523668.jpg軒先飾り

e0034068_353342.jpgエントランス・ホワイエ

本当は扉が閉まっている状態を撮りたかったです。扉のデザインがまた素晴らしかったので。。。

e0034068_3532371.jpgロビーの様子(その1)

e0034068_3544048.jpgロビーの様子(その2)

様々な幾何学模様による装飾で光にフィルターがかかるので光の差し方が独特に感じました。

e0034068_354582.jpgロビーの様子(その3)

奥に見えるティーバルコニーではお茶をすることができます。私もそうしたかったのですが時間がなくて断念しました(T.T)。

e0034068_3551061.jpgロビーの様子(その4)

このテーブルもライトデザインによるもののようです。

e0034068_3553168.jpgテラコッタ

大谷石の彫刻、スクラッチレンガと組み合わさって素晴らしい装飾が実現しております。細部を観ていけば観ていくほど新たな発見があって面白いです。

e0034068_3554464.jpgステンドグラス

千鳥格子(?)のデザインがまた印象的です。

e0034068_3555575.jpg紳士用ラウンジ

e0034068_3561196.jpg主階ギャラリーの照明

照明により作られる影も美しいと思いませんか?

e0034068_3564465.jpg婦人用ラウンジ

白い天井の幾何学的な線もすごく印象的です。ラウンジを男女分けたのはなぜなんでしょうか?
 建築が好きな人でフランク・ロイド・ライトの建物に惹かれていった人はこんな感じではまっていったんだろうなあとつくづく実感しました。
 余談ですが明治村ってものすごく面白いですね。70近くも建物があるとさすがに1日で観るのはきついです。朝一の9時半から見始めても私の場合は無理でした(T.T)。ガイド案内で建物の中に入らせてくれるものも多数あってぜひとも内部を拝見したいものもたくさんありましたのでここを制覇するにはかなり時間がかかるでしょう。
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by puyan27 | 2006-12-29 19:49 | 建築・庭園

松本市美術館

 またしても長野県松本市関連ですが美術的興味で松本市美術館を訪れてきましたので簡単にご紹介致します。この美術館では草間彌生さんの作品が常設展示されております。というのも彼女が長野県松本市出身であるからでしょう。

e0034068_1115456.jpg美術館外観

e0034068_112552.jpg入口付近にある作品

この作品は草間彌生さんの「幻の華」という作品らしいのですが作品名を書いているプレートみたいなのがなくて・・・。

 彼女の水玉模様の使い方って非常に個性的ですね。「A PUMPKIN かぼちゃ」をはじめとしてとても興味深いものでした。ただ、抽象画っぽい作品の方はちょっと難しくてよくわからなかったのですが彼女の背景やちょっとした説明なんかを聞くと理解できるのかも知れません。
 企画展で「近代日本洋画の志深く」が開催されておりましたが、さすがにこれをじっくり観る気力はなかったので今回はパスしました。松本市に来たら美術に興味のある方はぜひ訪れてみたい場所ですね。
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by puyan27 | 2006-12-23 22:09 | 美術館・美術展

旧開智学校

 松本城を見学した後は、徒歩で北上し、重要文化財に指定されている旧開智学校を観てきました。
規模・構造 木造二階建 寄棟造 桟瓦葺 中央部八角塔屋付 建築面積517㎡
設計・施工 立石清重(1829-1894松本)
沿革
明治 6年(1873)5月 創立
明治 9年(1876)4月 松本の中心部を流れる女鳥羽川沿い(現中央2丁目)に擬洋風校舎を新築。当初は二階建の教室棟を逆L字型に配し、延面積2653㎡、児童収容数1300人の規模だった。建築費約1万1千円のおよそ7割を松本全住民の寄附によって建築した。
昭和36年(1961)3月 国の重要文化財に指定された。
昭和38年(1963)3月 閉校。小学校として90年の歴史を閉じる。
昭和39年(1964)8月 現在地へ解体、移築、復元。
昭和40年(1965)4月 教育資料館として公開。所蔵資料約8万点、その一部を館内に展示している。
~入口説明より引用~

e0034068_8194561.jpg外観

内部には当時の写真や模型が展示されておりますが、写真の右側より後ろには逆L字型に校舎があったのですが現在はありません。

e0034068_8195938.jpg正面玄関(外側から)

藤森照信さんの本で「擬洋風建築」という言葉が出てましたがこの建物を観るとたしかにわかるような気がします。和なんだか、洋なんだか。。。そのよくわからんところが面白いのではありますが。

e0034068_8201058.jpg1階 特別展示室

机や椅子などもかなり昔のもののようですが当時はこんな感じの教室だったんでしょうね。

e0034068_8202183.jpg1階 丸柱

旧開智学校の建築木材には全久院という廃寺の古材が転用されている部分がたくさんあります。講堂の間仕切り部分の柱や中央廻り階段の丸柱がそれにあたり、欅を使用しています。130年以上も前から建物を支え児童たちを見守ってきた柱です。

e0034068_820329.jpg1階 正面玄関(内側から)

この正面玄関と、2階建ての車寄せ部分は、八角塔とともに、校舎の最も特徴的な部分です。この玄関が使われたのは、明治天皇の御巡幸など特別な時に限られ、通常、児童たちは、反対側の扉から出入りしていました。1階正面の龍の彫刻は、日光東照宮の龍をまねて彫られたといわれています。

e0034068_8204148.jpg1階 正面玄関中央部分の照明

e0034068_8205056.jpg2階 桟唐戸

彫刻のついた桟唐戸は校舎内に八面あります。そのうちこの桟唐戸は、校舎に現存している扉彫刻の中で最も古いものです。浄林寺から転用された扉で、伊勢町の木彫師原田蒼渓の作です。波形と飛龍のできあがりが大変優れています。また講堂のシャンデリアの彫刻も原田蒼渓の作です。

e0034068_8205952.jpg2階 桟唐戸の彫刻部分

e0034068_82196.jpg2階 講堂

e0034068_8211931.jpg2階 八角塔への扉

旧開智学校のシンボルである塔屋への入り口です。内部には時報用の鐘が吊られています。当初は太鼓楼でしたが、洋鐘に変更されました。通常は公開しておりませんが、年に一度だけ、時間限定で公開しております。また、1年に3日、1日3回だけ、鐘を鳴らしています。

ここはぜひとも入ってみたかったのですが残念(T.T)。

e0034068_059212.jpg現在の開智小学校

今でもやっぱり中央には塔はあるんですね。意識して作ったんでしょうか。
各写真の説明は設置されていた説明文を引用させていただきましたm(__)m。日本で最も古い小学校のひとつが復元したものとはいえこうして残っているなんて貴重ですね。
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by puyan27 | 2006-12-23 20:17 | 建築・庭園

松本城

スーパーあずさにて長野県松本市へ向かいました。目的はもちろん国宝の城めぐり第2弾、松本城です。
創始
松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めました。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。その後天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。

天守築造
豊臣秀吉は天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し、天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。
数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守、乾小天守、渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸、二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。天守のと築造年代は康長の文禄2年から3年(1593~4)と考えられています。
~配布パンフレットを引用~

e0034068_14325788.jpg黒門

本丸に入る正門で、櫓門と升形からなり、本丸防衛の要です。一の門(櫓門)は昭和35年(1960)に復興し、二の門と袖塀は平成2年(1990)に復元されました。

e0034068_14331483.jpg外観(その1)

右より
乾小天守 3重4階本瓦葺
渡櫓   2重2階本瓦葺
天守   5重6階本瓦葺
辰巳附櫓 2重2階本瓦葺
月見櫓  1重地下1階附本瓦葺

e0034068_14332760.jpg乾小天守(1階)

天守の北に位置するのに、乾と呼ばれるのは、北は叛く、敗れるなどの意があり、忌み嫌われたからです。3重4階の櫓は、天守と渡櫓で連結しています。乾小天守は天守と構造が異なり、丸太柱が使用されています。1,2階の10本と3,4階の通し柱12本は丸太材です。

e0034068_14333880.jpg乾小天守(2階)

松本城天守が築造されたのは、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以前です。そのため武装強化が用いられている。弓や鉄砲を発射する狭間の数が多いのはその現れです。

e0034068_14335316.jpg渡櫓(2階)

天守と乾小天守が渡櫓で連結し、辰巳付櫓と月見櫓が複合しているので連結複合式天守と呼ばれます。渡櫓2階の床面と乾小天守の床面には高低差がなく平らですが、天守床面とは大きな段差があって大変接続が悪いです。

e0034068_1434669.jpg天守(1階)

1間ごとに柱が立ち天守全体の重みを支えています。食料や爆弾などの倉庫であったと思われます。周囲1間通りは、内側の床より、50cm低く、これを入側又は武者走と呼びます。また、石垣をよじ登ってくる敵に対して石を落としたり、弓や鉄砲を撃って撃退する石落も見られます。

e0034068_14341845.jpg天守(2階)

武者窓(竪格子窓)からの明かりも多く、有事には武者達の営所に当てることができました。ここには松本市出身の赤羽通重氏、か代子夫人により収集された鉄砲・装備品・文書類などが展示されています。

e0034068_1434299.jpg天守(3階)

天守2重の屋根裏に設けられているので窓が全くありません。明かりは南側千鳥破風の木連格子からわずかにはいるだけです。そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていました。外部からの遮へいが強いので有事には「武者溜」に当てる、との説もありますが普段は倉庫でした。

e0034068_1434427.jpg天守(4階)

3階までの各階とガラリと室内の趣が異なっています。柱が少なく天井が高い上に4方から外光が入るので明るく広々とした感じを受けます。

e0034068_14345167.jpg天守(5階)

中央に3間×3間の大広間を置き、周囲は入側と4つの破風入込間という構成です。有事には幹部の居所にあてられるものと推定されます。4方に窓が開いていて6階とともに戦況を見るのに都合がよいです。

e0034068_1435153.jpg天守(6階)

周囲に3尺(90cm)通りの入側が巡る3間の一部屋となっています。無目敷居が回っているので、畳を敷くことも可能です(階段を除き京間16畳となる)。有事には最高幹部の司令塔(城主の座所)となるところです。

e0034068_14351425.jpg天守(6階) 天井

小屋梁の中央には松本城を守る神様として二十六夜神が祭られています。

e0034068_1435273.jpg天守(6階) 本丸御殿跡

このように東西南北を一望することができます。この日は天気に恵まれました。尚、本丸御殿は享保12年(1727)に焼失してしまい以後は再建されていません。

e0034068_1435554.jpg辰巳附櫓(2階)

天守の辰巳(南東)にあたり、隣接している月見櫓とともに松平直政によって寛永元年に増築されました。奥に見える窓の上方が尖った特殊なアーチ型になった窓は花頭窓といい、禅宗寺院の建築に見られる形式です。

e0034068_1436718.jpg月見櫓

北・東・南に設えてある舞良戸を外すと、3方吹き抜けになり、回りに巡らされた朱塗りの回縁や船底型の天井など書院風の造りと相まって、優雅な雰囲気を醸し出し、天守・渡櫓・乾小天守と比べ開放的で、平和な時代に造られたことがわかります。

e0034068_14361882.jpg外観(その2)

e0034068_14363267.jpg太鼓門

文禄4年(1595)頃に築かれ、門台北石垣上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図等の発信源として重要な役割を果たしていました。平成11年に復元されました。
各写真の説明は松本城に設置されていた説明文及び配布パンフレットを引用及び参照させていただきましたm(__)m。国宝4城めぐり、続いては彦根城又は姫路城に行ってみたいと思います。
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by puyan27 | 2006-12-23 17:31 |
 本年ももうちょっとですので来年の美術展(企画展)についてちょっと整理してみました。あくまで現時点でわかっているのもので自己メモという意味でなのですが。。。
 来年は六本木に「国立新美術館」「サントリー美術館」がオープンもするので非常に楽しみです。また、ここに載せたものは企画展がほとんどですが、平常展のチェックも要ですね。それから地方の個人美術館等も入れたりするとてんこ盛りです(^○^)。うれしい限りですね~。


東京国立近代美術館
都路華香展
 会期:2007年1月19日(金)~3月4日(日)
 会場:東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1階)

柳宗理 -生活のなかのデザイン-
 会期:2007年1月19日(金)~3月4日(日)
 会場:東京国立近代美術館 ギャラリー4(2階)

特別公開 横山大観《生々流転》
 会期:2007年1月2日(火)~3月4日(日)
 会場:東京国立近代美術館 特設ギャラリー(1階)

森美術館
日本美術が笑う 縄文から20世紀初頭まで  若冲、白隠、円空、劉生―
 会期:2007年1月27日(土)~5月6日(日)
 会場:森美術館 53階 ギャラリー1、3

ル・コルビュジェ展 その人と創造の軌跡(仮称)
 会期:2007年5月26日(土)~9月24日(月)
 会場:森美術館 53階 ギャラリー1、3~6

国立新美術館
国立新美術館開館記念展「20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―」
 会期:2007年1月21日(日)~3月19日(月)
 会場:国立新美術館 企画展示室1E、展示室1A、1B、1C、1D(6,000m2)

「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」
 会期:2007年2月7日(水)~5月7日(月)
 会場:国立新美術館 企画展示室2E(2,000m2)
 ※文化庁メディア芸術祭10周年企画展

「日本の表現力 ― アートとエンターテインメントの融合と進化」
 会期:2007年1月21日(日)~2月4日(日)
 会場:国立新美術館 展示室2A、2B(2,000m2)

L'art de MONET
 会期:2007年4月7日(土)~7月2日(月)
 会場:国立新美術館

世田谷美術館
生誕120年 富本憲吉展 近代陶芸の巨匠・富本憲吉の全貌に迫る大回顧展
 会期:2007年1月4日(木)~3月11日(日)
 会場:世田谷美術館 1階展示室

世田谷時代1946-1954の岡本太郎 戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流
 会期:2007年3月24日(土)~5月27日(日)
 会場:世田谷美術館 1階展示室

ポーラ美術館
開館5周年記念 2大企画展
「花の絵画」Flowers of Pola Museum of Art
「エミール・ガレ」Emile Galle and Glass works of the Art Nouveau
 会期:2007年3月24日(土)~9月17日(月)
 会場:ポーラ美術館 企画展示室

箱根ラリック美術館
第4回企画展 灯るあかり -ラリック、明治・大正の照明-
 会期:2006年12月23日(土)~2007年5月20日(日)
 会場:箱根ラリック美術館 企画展示室

東京国立博物館
特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」
 会期:2007年3月20日(火)~6月17日(日)
 会場:本館特別5室・平成館特別展示室第3・4室

東京都美術館
オルセー美術館展 ― 19世紀 芸術家たちの楽園
 会期:2007年1月27日(火)~4月8日(日)
 会場:東京都美術館 企画展示室

サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展 ロシア絵画の真髄
 会期:2007年4月28日(土)~7月8日(日)
 会場:東京都美術館 企画展示室

太田記念美術館
ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展
 会期:2007年1月3日(水)~2月25日(日)
    前期 2007年1月3日(水)~1月26日(金)
    後期 2007年2月1日(木)~2月25日(日)
 会場:太田記念美術館

三井記念美術館 
新春の寿ぎ―国宝雪松図、卯花墻を中心に―
 会期:2007年1月4日(木)~1月31日(水)
 会場:三井記念美術館 三井本館7階

Bunkamuraザ・ミュージアム 
プリンセスの輝き ティアラ展 ~華麗なるジュエリーの世界~
 会期:2007年1月20日(土)~3月18日(日)
 会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

モディリアーニと妻ジャンヌの物語展 モンパルナスに咲いた愛と悲劇
 会期:2007年4月7日(土)~6月3日(日)
 会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

プラハ国立美術館所蔵 ルーベンスとブリューゲルの時代
 会期:2007年6月9日(土)~7月22日(日)
 会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

ルドン版画展(仮称)
 会期:2007年7月28日(土)~ 8月26日(日)
 会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

ブリヂストン美術館
じっと見る 印象派から現代まで
 会期:2007年 1月 2日(火)-2007年 4月 8日(日)
 会場:ブリヂストン美術館

サントリー美術館
開館記念展Ⅰ「日本を祝う」
 会期:2007年3月30日(金)~6月3日(日)
 会場:サントリー美術館(東京ミッドタウン ガーデンサイド)

開館記念展II 「水と生きる」
 会期:2007年6月16日(土)~8月19日(日)
 会場:サントリー美術館(東京ミッドタウン ガーデンサイド)

開館記念特別展「BIOMBO/屏風 日本の美」展(仮称)
 会期:2007年9月1日(土)~10月21日(日)
 会場:サントリー美術館(東京ミッドタウン ガーデンサイド)

埼玉県立近代美術館
巴里憧憬-エコール・ド・パリと日本の画家たち
 会期:2007年1月6日(土)~2月12日(月)
 会場:企画展示室(2階)

江戸東京博物館
北斎展-風景画の世界
 会期:2007年1月2日(火)~2月12日(月)
 会場:5階第2企画展示室

特別展 江戸城
 会期:2007年1月2日(火)~3月4日(日)
 会場:江戸東京博物館 1階 企画展示室

ロシア皇帝の至宝展~クレムリンの奇跡~
 会期:2007年3月20日(火)~6月17日(日)
 会場:江戸東京博物館 1階 企画展示室



ざっとこんな感じですが、実際にはまだまだ興味あるものが出てくるでしょう。他にも美術館はたくさんありますので。。。情報収集はかかせませんね。
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by puyan27 | 2006-12-22 00:15 | 美術館・美術展

犬山城

 突然のことなのですが、日本の城めぐりをしようということになり、まずは国宝4城からということで愛知県犬山市の犬山城を観に行って来ました。
犬山城は天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関が原の合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)に城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至りました。明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。その後、伊勢湾台風などでも被害を受けましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて解体修理を行いました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城の中でも、最も古い城であります。平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。
犬山城の歴史 説明より引用

e0034068_22351666.jpg天守閣外観

構造形式・・・独立天守閣
外観・・・3重
内部4階地下2階付
天守の建て坪・・・360.353㎡
総延面積・・・698.775㎡
石垣の高さ・・・地上5m
天守の高さ・・・石垣から19m
地上からの高さ・・・24m

e0034068_22353036.jpg大杉様

樹齢 約650年 高さ 枯れる前 約24メートル
犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風避けもなったりして城を守る御神木として崇められてきました。しかし1965年頃枯れてしまいました。

e0034068_22354146.jpg付櫓(つけやぐら)(1階)

この位置は東南の隅の突出部にあたり、攻撃守備用として造られたといいます。突出部は下段に3ケ所の連子窓があり、それぞれ遠くまで見渡すことができます。広さ15.22㎡(8畳余)

e0034068_22355576.jpg納戸の間(1階)

犬山城は別名「白帝城」といいます。江戸時代の儒者荻生徂徠が李白の詩からとって命名したと伝えられます。

e0034068_2236654.jpg石落としの間(1階)

この位置は西北の隅にあたり、石落としの間といいます。石を落として侵入者を防ぐ間で石垣より外に突出しているのが特徴です。広さ7.17㎡(4畳余)

e0034068_22361782.jpg上段の間(1階)

ここは殿様が使用した部屋で上段の間といいます。床が一段と高くはられ、この部屋だけが猿頬天上(サルホホテンジョウ)が張ってあり、この城の最上の室となっています。この奥に武者隠しの間があり、殿様を守る武士が待機しておりました。

e0034068_22362836.jpg武具の間(2階)その1

中央部が武具の間で西北東の3方に武具棚があります。

e0034068_22363911.jpg武具の間(2階)その2

e0034068_22365034.jpg唐破風の間(3階)その1

ここは南北に唐破風の間を配置し、東西は千鳥破風となっています。当初天守築城当時はなく元和4年(1618年)から貞享2年(1687年)にかけて、70余年の間に成瀬城主が装飾として築城したものと伝えられております。広さ81.936㎡。

e0034068_2237361.jpg唐破風の間(3階)その2

e0034068_2237148.jpg高欄の間(4階)

廻縁からの展望は素晴らしく戦国時代の見晴台及び司令塔であったとみられます。又、対岸は美濃の国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。広さ49.835㎡。

e0034068_22372589.jpg高欄の間(4階)廻縁の様子(その1)

e0034068_22373731.jpg高欄の間(4階)廻縁の様子(その2)

各写真の説明は犬山城に設置されていた説明文及び公式HPの説明文を引用させていただきましたm(__)m。やっぱり現存する天守閣ってすばらしいですね(^ヘ^)v。
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by puyan27 | 2006-12-17 22:30 |
e0034068_0284221.jpg 先週、NHK衛星ハイビジョンにて新日曜美術館を見たところ千住博氏(注:右上の点はないのが正しいそうです。)の特集「千住博 渾(こん)身の滝」をやっておりました。私は初めてお名前を知ったのですが(いや、実はどこかで作品を観ているかも)かなり世界的に知名度のある方のようです。アメリカ・フィラデルフィア市に本格的な和風建築「松風荘」が保存されており、ここの襖絵は東山魁夷画伯により描かれたものだったのですが管理上の不備により損傷してしまったため、千住氏が無償でこの襖絵の制作を引き受けたとのことです。この襖絵の制作現場の詳細な様子を特集してくれていたのが主な番組内容なのですがこれが非常に面白かったです。
 松風荘の襖絵は千住氏の作品の代表作である「ウォーターフォール」シリーズで制作することになったのですが(どのようにあの見事な滝を描いたのかが肝ではありますが詳細はぜひ番組を観てもらいたいところですね。)どうしても本物を観たくなり、現在、山種美術館にてこの襖絵を公開中ですので早速観に行ってきました。
 滝というのは日本人的な感覚ですと那智の滝のように神社のご神体なっているところもあり、神秘性があるため、千住氏も惹かれるものがあったのでしょう。わざとニューヨークを拠点とすることが自分が日本人であるんだということを認識させてくると言われていましたが、作品も非常に日本人らしい題材でとても誇らしく思えました。滝の水の流れや滝つぼ付近の水しぶきの感じなど非常にすばらしいですね。「ウォーターフォール」シリーズは日本だと「大徳寺聚光院伊東別院」にも襖絵としてあるようですのでぜひ観に行ってみたいのですが公開してるのでしょうか?HPでは情報がないためわかりませんね。一般公開するための建物ではないようですので期待薄のような気はしますが・・・。さすがにアメリカまで行くのは容易ではありませんからねえ(T.T)。実際の本格的な和風建築に襖絵として組み込まれた形で観てみると更に違った印象を受けることでしょう。機会があればぜひとも観てみたいものですね。
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by puyan27 | 2006-12-16 14:47 | 美術館・美術展