ぷーやんのブログ 旅行や趣味、自分で思ったりしたこと等のひとりごと。


by puyan27

丸亀うちわ

丸亀市といえば何といっても伝統工芸品のうちわが有名であり、今日のうちわも生産の盛んなところです。伝統工芸品は大好きであり、うちわについては前々から素晴らしき一品を手に入れたいと思っていたところです(夏は終わってしまいましたが・・・)。

e0034068_233285.jpgうちわの港ミュージアム

うちわの実演や全国のうちわの説明、展示がされております。

e0034068_2331364.jpg展示してあったうちわ

海外から63人(23カ国)、国内から20人の著名なグラフィックデザイナーがデザインしたうちわでFUNFAN 2007という企画だそうです。伝統工芸と現代のグラフィックのコラボなんて面白い企画ですね。。

e0034068_2332546.jpg購入したうちわ

ミュージアムで2本のうちわを購入しました。茂木団扇さんで作製された渋うちわです。とてもシンプルで美しいうちわです。近頃は職人さんが減り、中国製のうちわの骨が多いのだそうな。伝統工芸の伝承者が減っていっているという現実なんでしょうね。なんとも寂しいことです(T.T)。
余談ですがネットでうちわを探していたところ「来民渋うちわ 柿いろ」というHPを見つけました。熊本県のうちわなんですがなかなかよさそうですね~。
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# by puyan27 | 2007-09-18 23:01 | その他

丸亀城

国宝四城、重要文化財八城の天守閣が残っている城巡りですがしばらく止まってましたが今回、香川県丸亀市にある「丸亀城」へ行ってきました。

 亀山城または蓬莱城ともいわれ、市内の亀山に生駒氏によって築かれたものである。
 生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。生駒家四代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取りかかり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。
 丸亀城の美は何と言っても石垣の美しさである。天守閣に向けて四段階に積み重ねた石垣は、「扇の勾配」とも清正流三日月勾配とも呼ばれ、天に向かって弧を描いて反りかえる様は見事で正に石の芸術品である。又、天守閣は全国の現存する木造天守12城の1つで、昭和18年に国宝、昭和26年に全国的改定により重要文化財に指定されている。
~チケット説明より引用~


e0034068_5443597.jpg大手二の門

もと南方にあった大手門を、京極氏入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ大手二の門とよび、右方の櫓門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いている。

e0034068_5445033.jpg大手枡形

もと南方にあった大手枡形を、京極氏が入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手一の門、大手二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、甲州流軍学の標準とする五間に八間の「五八の枡形」を凌ぐ十間(18メートル)に十一間(19.8メートル)の巨大なものである。

e0034068_545166.jpg大手一の門



e0034068_5451312.jpg見返り坂

何しろ山城なものでこの程度の坂はさくさく登っていかなければなりません(^^ゞ。

e0034068_5452445.jpg三の丸月見櫓跡からの眺め

飯野山(讃岐富士)を見ることができます。それにしても印象的な形の山でした。

e0034068_5453429.jpg三の丸井戸

囲いは東西南北とも約3.5メートル、井戸の直径は約2.5メートルあり、山崎時代の絵図によると深さは三十一間(約56メートル)と記されており、石垣と同じ花崗岩を使って丈夫に築かれている。現在は空井戸となっていて、城外への抜け穴伝説のある井戸である。実際には本当に抜け穴あるんでしょうかねえ。

e0034068_5454824.jpg二の丸井戸

この井戸は直径が一間(約1.8メートル)、深さは絵図によると三十二間(約65メートル)と記され、日本一深い井戸といわれている。丸亀城で最も高いところにあり、現在も水を湛えている。また、石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れ、この井戸の底に入っている間に石を落とされて殺されたという伝説が残っている。

e0034068_5455834.jpg天守閣 外観

江戸時代初期の建築三層三重楼。屋根は南北棟の入母屋造本瓦葺軒裏丸重木型総塗籠波形軒である・・・といった説明が書かれているんだけどなんだか難しいですねえ。写真は本丸から見たものですが本来は大手一の門側から見た方が美しいです。さすがに望遠カメラでもないと撮影は厳しいです(T.T)。

e0034068_546134.jpg天守閣 一階



e0034068_5462451.jpg天守閣 二階

e0034068_5463649.jpg天守閣 三階

e0034068_5464682.jpg天守閣 三階 天井部分

なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。これで4/12ですか。まだまだ先は遠いですね~。
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# by puyan27 | 2007-09-18 19:10 |

栗林公園

9月に入り、連休がとれたので讃岐うどん食いだおれに香川県高松市へ行って来ました。ここへ来たら絶対に欠かせない観光名所が栗林公園です。映画「春の雪」でも使われていました。もっぱら庭園好きな私には絶対にはずせない場所ではあったのですが。

本園の起こりは、元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、西南地区(小普陀付近)に築庭されたのに始まるといわれ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれた。以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ねて延享2年(1745年)に完成されたもので、明治維新に至るまで松平家11代228年間にわたり、下屋敷として使用された。明治4年(1871年)高松藩が廃され、新政府の所用となったが、明治8年(1875年)3月16日、県立公園として一般公開され、現代に至っている。
~パンフレットより引用~


e0034068_17595462.jpgお手植松

前に並んでいる手入れをしている背丈の高い5本の松は、次の方々がご来園賜ったときに記念してお手植えになられた松です。昭和天皇が大正3年皇太子殿下のときお手植えになった黒松がありましたが落雷のため平成17年2月枯死したそうな。

e0034068_180891.jpg鶴亀松(別名 百石松)

110個の石を組み合わせ亀を形どった岩組の背中に鶴が舞う姿をした黒松を配したものであり、園内でも最も美しい姿をした松である。

e0034068_1802512.jpg屏風松と箱松

北側の背丈の高い松並を屏風松という。絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝振りはまさに圧巻。南側に並ぶ箱松は、その名の通り箱のかたちを装った松。長い年月の手入れのたまもので、樹芸の粋を極めたこの箱松は、他に見られない本園ならではの景観をつくっている。

e0034068_1803815.jpg梅林橋

別名「赤橋」と呼ばれ、緑一色の湖景に一点朱色が鮮やかに映え、付近庭景に対する見事な引締め役となっている。

e0034068_1805464.jpg掬月亭

この建物は、江戸初期の頃(1640年頃)に建てられた廻遊式大名庭園の中心的建物でありう、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物である。1745年に、松平5代藩主頼恭が、中国の詩人干良史の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって、掬月亭と命名したものである。

e0034068_181798.jpg涵翠池

掬月亭西の池、涵翠池は、翠(みどり)を涵(ひた)すという意で、石組みの素晴らしい中島の瑶島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山の自然を含めた意図で命名したもの。

e0034068_1813120.jpg睡竜潭と慈航嶼

西湖の南端にあたるこの池泉を「睡竜潭」といい、その中島を「慈航嶼」という。この中島には2つの橋が架けられている。手前の橋を「津筏梁」といい、奥の橋を「到岸梁」という。津筏梁の両側にはカキツバタがあり、5月には可憐な花を咲かせる。

e0034068_1814726.jpg掬月亭 初莚観(その1)

天井が総和紙貼りになっており、光を取り入れられるようになっています。和紙を通すので柔らかい光が入ってきます。建築家の村野藤吾氏がここを参考に新高輪プリンスホテル「恵庵」、帝国ホテル「東光庵」にてアレンジして取り入れたといった内容の資料が展示されておりました。

e0034068_182054.jpg掬月亭 初莚観(その2)

黒漆塗り井桁菱格子に紋紗を貼って障子にしているようです。障子が開いていればこの格子ごごしに庭園を観られたのですが残念。ここにも建築家の村野藤吾氏がここを参考になだ万山茶花荘にてアレンジして取り入れたといった内容の資料が展示されておりました。

e0034068_1821313.jpg掬月亭 掬月



e0034068_1822654.jpg掬月亭 掬月からの眺め

ここからの庭園の眺めは格別です。襖に書かれた庭園風景のようです。素晴らしい(^○^)。

e0034068_1823772.jpg掬月亭 茶室



e0034068_1825057.jpg吹上げ

石の間から吹き上げるように噴き出る噴泉の吹上げは、本園の東南端に位置する当園の水源地であり、ここで曲水の宴がおこなわれたといわれている。

e0034068_183239.jpg飛来峰(古富士)からの眺め

明治43年文部省発行 高等小学読本の文章中「風致の美をもつて世に間ゆるは水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして之を日本の三公園と称す。然れども高松の栗林公園は木石の雅趣却って此の三公園に優れり。」と記され、ここから南湖を望む景観の写真が掲載された。この築山は、中国杭州武林山の名勝から得た命名である。

e0034068_1831566.jpg芙蓉峰からの眺め

梅林橋のあたりから見ると富士山の形をしているので富士の別名である「芙蓉」の名がついたとされている。芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として、右に前嶼、左に後嶼、その求心点には紅の橋である梅林橋という美しさ。また、右には箱松、屏風松が重なるように見え、景観をさらに厚く演出している。


なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。
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# by puyan27 | 2007-09-17 17:58 | 建築・庭園
e0034068_23103068.jpg 六本木の東京ミッドタウンは初めてではないですがサントリー美術館へ入るのは初めて。現在、「水と生きる」展が開催されております。この美術展ですが、調べると展示替えが前期・中期・後期と3回あり、作品もかなり入れ替わっているようでどの時期に行こうか迷っていましたが円山応挙の「青楓瀑布図」が後期に出品ということで迷わず後期に決定とした次第です(^○^)。
 青海波はとても好きな模様ですが、日本がオリジナルではないのは初めて知りました。なんて説明が書いてあったか忘れてしまったのですが、ネットで調べると中国の青海地方の民族文様に由来する山岳文様って書かれているようです。てっきり日本のものだと思っていたのですが大陸文化の影響はやはり大きいですね。
 いろいろな展示品の中で自分としては第3章の涼 水の感覚で展示されていた江戸時代の数々の磁器や切り子などがとても素晴らしかったです。薩摩切子なんて本物は観たことなかったのでかなりわくわくしました。当時の造形技術が素晴らしく、また藍色がなんともいえませんでした。鹿児島に行ったらもっとたくさんの薩摩切子に出会えるんでしょうね。よく考えると江戸切子なんかは技術が伝統的に継承されてますので今でも観ることができますが江戸時代のものって観たことがないですね。素人目に観てわかるものではないかもしれないですが実際によくお店で売られているものと比べてみてどうなんだろうと思ったりもしました。まあ、ピンキリですので比較対象にもよるとは思いますが、よいものを観ておくことは大切ですね。
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# by puyan27 | 2007-08-11 23:09 | 美術館・美術展
e0034068_17493616.jpg 現在のユカタン半島及び南米のペルーで栄えていたインカ・マヤ・アステカ文明は世界遺産などの遺跡もたくさんあり、有名です。真っ先に思い浮かぶのは最近、映画のアポカリプトなどでもありましたが、心臓の生贄のような残酷な儀式があったということです。たしかにこういった側面だけでみれば勘弁してくれ~といいたくなるところですが、視点を変えて文化的な側面で見るとかなり面白く、素晴らしいものであったということを伝えてくれるのが現在、上野の国立科学博物館で開催されている「インカ・マヤ・アステカ展」です。
 ヒスイの仮面(カラクルム建造物2D)なんてまさに漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の石仮面が思い浮かびます。本当に吸血鬼ができてしまったら恐いですね~。また、カミナルフユ石碑11のようなかなり大きなものも展示されており、エジプトなんかとはまた違った造形がとても印象的でした。
 現地の様子の映像なんかも流れておりましたが、NHKがプロモーションのようですので新日曜美術館で放送されていたのと同じものが多々ありました。映像の中にあったチチェン・イッツアの春分・秋分の日に表れるククルカンの仕掛けは見事なものでした。昔の人々の知恵って本当にあなどれないです。とにかく興味ある方は足を運んで観るべし。かなり混んでいますので多少の待ちは覚悟しておいたほうがよいかもしれませんよ~。
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# by puyan27 | 2007-07-29 17:45 | 展示会