丸亀城
2007年 09月 18日
国宝四城、重要文化財八城の天守閣が残っている城巡りですがしばらく止まってましたが今回、香川県丸亀市にある「丸亀城」へ行ってきました。
大手二の門
もと南方にあった大手門を、京極氏入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ大手二の門とよび、右方の櫓門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いている。
大手枡形
もと南方にあった大手枡形を、京極氏が入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手一の門、大手二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、甲州流軍学の標準とする五間に八間の「五八の枡形」を凌ぐ十間(18メートル)に十一間(19.8メートル)の巨大なものである。
大手一の門
見返り坂
何しろ山城なものでこの程度の坂はさくさく登っていかなければなりません(^^ゞ。
三の丸月見櫓跡からの眺め
飯野山(讃岐富士)を見ることができます。それにしても印象的な形の山でした。
三の丸井戸
囲いは東西南北とも約3.5メートル、井戸の直径は約2.5メートルあり、山崎時代の絵図によると深さは三十一間(約56メートル)と記されており、石垣と同じ花崗岩を使って丈夫に築かれている。現在は空井戸となっていて、城外への抜け穴伝説のある井戸である。実際には本当に抜け穴あるんでしょうかねえ。
二の丸井戸
この井戸は直径が一間(約1.8メートル)、深さは絵図によると三十二間(約65メートル)と記され、日本一深い井戸といわれている。丸亀城で最も高いところにあり、現在も水を湛えている。また、石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れ、この井戸の底に入っている間に石を落とされて殺されたという伝説が残っている。
天守閣 外観
江戸時代初期の建築三層三重楼。屋根は南北棟の入母屋造本瓦葺軒裏丸重木型総塗籠波形軒である・・・といった説明が書かれているんだけどなんだか難しいですねえ。写真は本丸から見たものですが本来は大手一の門側から見た方が美しいです。さすがに望遠カメラでもないと撮影は厳しいです(T.T)。
天守閣 一階
天守閣 二階
天守閣 三階
天守閣 三階 天井部分
なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。これで4/12ですか。まだまだ先は遠いですね~。
亀山城または蓬莱城ともいわれ、市内の亀山に生駒氏によって築かれたものである。
生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。生駒家四代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取りかかり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。
丸亀城の美は何と言っても石垣の美しさである。天守閣に向けて四段階に積み重ねた石垣は、「扇の勾配」とも清正流三日月勾配とも呼ばれ、天に向かって弧を描いて反りかえる様は見事で正に石の芸術品である。又、天守閣は全国の現存する木造天守12城の1つで、昭和18年に国宝、昭和26年に全国的改定により重要文化財に指定されている。~チケット説明より引用~
大手二の門
もと南方にあった大手門を、京極氏入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ大手二の門とよび、右方の櫓門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いている。
大手枡形
もと南方にあった大手枡形を、京極氏が入城後直後の寛文十年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手一の門、大手二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、甲州流軍学の標準とする五間に八間の「五八の枡形」を凌ぐ十間(18メートル)に十一間(19.8メートル)の巨大なものである。
大手一の門
見返り坂
何しろ山城なものでこの程度の坂はさくさく登っていかなければなりません(^^ゞ。
三の丸月見櫓跡からの眺め
飯野山(讃岐富士)を見ることができます。それにしても印象的な形の山でした。
三の丸井戸
囲いは東西南北とも約3.5メートル、井戸の直径は約2.5メートルあり、山崎時代の絵図によると深さは三十一間(約56メートル)と記されており、石垣と同じ花崗岩を使って丈夫に築かれている。現在は空井戸となっていて、城外への抜け穴伝説のある井戸である。実際には本当に抜け穴あるんでしょうかねえ。
二の丸井戸
この井戸は直径が一間(約1.8メートル)、深さは絵図によると三十二間(約65メートル)と記され、日本一深い井戸といわれている。丸亀城で最も高いところにあり、現在も水を湛えている。また、石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れ、この井戸の底に入っている間に石を落とされて殺されたという伝説が残っている。
天守閣 外観
江戸時代初期の建築三層三重楼。屋根は南北棟の入母屋造本瓦葺軒裏丸重木型総塗籠波形軒である・・・といった説明が書かれているんだけどなんだか難しいですねえ。写真は本丸から見たものですが本来は大手一の門側から見た方が美しいです。さすがに望遠カメラでもないと撮影は厳しいです(T.T)。
天守閣 一階
天守閣 二階
天守閣 三階
天守閣 三階 天井部分
なお、各写真の説明は現地にて書かれている説明を引用させていただきましたm(__)m。これで4/12ですか。まだまだ先は遠いですね~。
by puyan27
| 2007-09-18 19:10
| 城